- 2024-3-23
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★★ノイシュトレーリッツ Neustrelitz -10- からの続きです
さて、駅に向かって戻ります。帰り道は Tiergartenstrasseくらいしか選択肢はありません。
1865年、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ブッテルの設計により、法廷と牢獄を備えた大公領裁判所として建てられた旧ノイシュトレリッツ地方裁判所。現在はメクレンブルク=フォアポンメルン州社会裁判所の付属裁判所であり、ヴァーレン(ミュリッツ)地方裁判所ノイシュトレリッツ支部となっている。
小さなカトリック教会(Pferrei Seliger Niels Stensen)があります。聖 Niels Stensenは「Nicolaus Steno, Nicolas Stenon (Niels Stensen or Niels Steensenのラテン語化; * 1 Januaryjul. / 11 January 1638 in Copenhagen, Kingdom of Denmark; † 25 Novemberjul. / 5 December 1686 in Schwerin, Duchy of Mecklenburg), は、デンマークの医師、解剖学者、自然科学者、後にカトリック司祭、司教。ローマ・カトリック教会では聖人として称えられている。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは彼を「地質学の父」と評した。母国語のデンマーク語に加え、両親の友人や知人からドイツ語を学び、学校ではラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語を学んだ。 その後、オランダ語、フランス語、イタリア語、英語を学んだ」という人です(独語 Wikipedia)
この小さな教会の中に、Bernhard Schwentner神父を顕彰するコーナーがあります。ナチスに目を付けられて処刑された神父です。
ファシズム犠牲者慰霊碑(ノイシュトレリッツ)
ノイシュトレリッツ(メクレンブルク=フォアポンメルン州)のファシズム犠牲者追悼碑は、鉄道駅のマリエン通り/フリードリヒ=ヴィルヘルム通りにあり、1949年に建立された。この記念碑はモニュメントとして登録されている。
鉄道駅に隣接する三角形の広場は、1870年から 1871年にかけて普仏戦争で戦死したメクレンブルク擲弾兵連隊第 89連隊の兵士を悼む国家戦没者慰霊碑が建てられた場所であり、1899年に建立された。 ベルリンの彫刻家マルティン・ヴォルフが制作したブロンズ像は、第二次世界大戦中の 1943年に解体され、軍備のために溶かされた。慰霊碑の台座は 1946/47年に撤去された。
ファシズムの犠牲者を悼む記念碑は、1949年に高さ 20mの正方形のオベリスクとして建立され、段差のある正方形の底板と金属製のスパイクの上に、堅く焼かれた黒レンガで作られている。窪みには「ファシズムの犠牲者たちへ」という碑文が刻まれている。この銘板は 1997年に破壊されたため、交換された。記念日には、国家社会主義からの解放、迫害された人々、この時代の犠牲者がこの場所で追悼される(独語 Wikipedia)
★★ノイシュトレーリッツ Neustrelitz の章を終ります
さてこれで「ドイツ帝国を構成する諸国の首都(Residenzstadt)」を全て訪問したことになります。これまでの訪問記は下記にあります。大都市は訪問記を書いていませんが(笑)
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。