誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(14):★★ゴータ Gotha -1-

引き続きテューリンゲンのレジデンツ・シュタットをご紹介します。今回は「満を持して」?ザクセン=コーブルク=ゴータ公国のゴータを取り上げます。次回はコーブルグを紹介します。

小さい公国ながら、その子女がベルギー初代国王レオポルド1世や、イギリス女王ヴィクトリアの王配アルバートなど、ヨーロッパ各国の王室に広がったことで知られます。また、ヨーロッパの社会主義運動の中で、カール・マルクスによる「ゴータ綱領批判」が草されましたが、そのゴータです。というわけで、非知名度は★★としておきます。


ここも複雑な飛び地が入り組んでいますが、北の大きな島の赤点がゴータ、南の小さい島の赤点がコーブルクです。

ザクセン=コーブルク=ゴータ公国の概説(+をクリック下さい)

ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国Herzogtum Sachsen-Coburg und Gotha)は、1826年から1918年までドイツ中部のテューリンゲン地方に存在した領邦国家。ザクセン=コーブルク公国 (de:Sachsen-Coburgザクセン=ゴータ公国 (de:Sachsen-Gotha同君連合であった。首都はそれぞれコーブルクゴータに置かれた。

ドイツ帝国のもとでテューリンゲン諸邦と総称された領邦群のうちのひとつである。

テューリンゲン地方は、歴史的経緯から各国が大小の飛地を有して入り組んでいた。ザクセン=コーブルク=ゴータ公国は、北のザクセン=ゴータ公国(首都はゴータ、現在はテューリンゲン州ゴータ郡に所属)と、南のザクセン=コーブルク公国(首都はコーブルク、現在はバイエルン州コーブルク郡に所属)の同君連合であり、2つの公国の領域は隔たっている。

歴史

1825年ザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ4世の死去によってザクセン=ゴータ=アルテンブルク公家が断絶すると、ヴェッティン家エルンスト系ザクセン諸公国の間で領土の再分配が行なわれた。ザクセン=コーブルク=ザールフェルトエルンスト1世ザールフェルトザクセン=マイニンゲン公国へ譲るかわりにゴータを継承し、これによってザクセン=コーブルク=ゴータ公国が成立した。エルンスト1世の治世にドイツ関税同盟北ドイツ連邦へ加盟し、次代のエルンスト2世のときドイツ帝国の構成国となった。

ザクセン=コーブルクとザクセン=ゴータは名目上は2つの公国であったが、連邦参議院で割り当てられた投票権は両公国合わせて1票であった。そのため正式に合併しようという提案が2度にわたってなされたが、結局これは実現しなかった。

エルンスト2世の時代に、公国は世界で唯一アメリカ連合国国家承認している。

1918年ドイツ革命が発生すると、カール・エドゥアルト公は退位宣言書に署名し、公国は消滅した。1919年に行われた住民投票の結果、翌1920年コーブルク自由州バイエルン州へ、ザクセン=ゴータ自由州テューリンゲン州へそれぞれ編入された。

ザクセン=コーブルク=ゴータ家:日本語 Wikipedia独語 Wikipedia
英国ウィンザー朝:日本語 Wikipedia独語 Wikipedia英語 Wikipedia

ゴータ(Gotha)に関しては Wikipediaによると:

歴史は少なくとも 8世紀に遡る古い町で、17世紀にはザクセン=ゴータ公国の首都となり、19世紀になるとコーブルクとともにザクセン=コーブルク=ゴータ公国の首都として栄えた。18世紀にはヴォルテールが滞在し、ドイツにおける啓蒙主義の中心地となった。

ザクセン=コーブルク=ゴータ家からは現在のベルギーおよびイギリス(サクス=コバーグ=ゴータ朝)の王家、またかつてのポルトガルおよびブルガリアの王家が出ている。

1875年にはここでドイツ社会民主党が結成され、その際の綱領草案(ゴータ綱領)がカール・マルクスに批判されたこと(『ゴータ綱領批判』)でよく知られる。

Wappen Lage Data

私はこの町に3度行ったことがあります。最初は 1997年、まだまだ復興途上の時代であまり写真が残っておらず、二度目は 2016年 12月で駅前だけ、そして三度目は 2018年 3月ですが、かなりの降雪で街歩きができませんでした。という事情で、今回は大雪の中で訪問したお城と博物館を自分で撮影した写真で、街歩きは YouTubeや Wikipediaなどから映像・画像を拝借して紹介することにします。

ドイツの鉄道駅は、大都市の中央駅(Hauptbahnhof)のように町の中にあり、その周辺がそれなりに賑やかに栄えているというのはむしろ例外で、殆どの中小都市の場合は町の中心からやや離れたところにあり、また日本のような駅前商店街が形成されることも殆どありません。ゴータ駅もその例外ではなく、上の地図では下辺の右手にありますが、そこから旧市街(薄い黄色の部分)までは、北北西に約 1.5kmくらいあり、駅前からは路面電車のアクセスが一般的です。そして駅と旧市街の間には広大な城の敷地と公園が広がっています。

この日は午前中 Weimarに出かけ、午後から雪の中を Gothaに移動します。駅の「BAHNHOF」という文字のフォントは旧東独の駅によく見られます。

フォトギャラリーには、2016年 12月の画像も含まれています。Gotha駅は、無人駅ではないだけまだマシな方ですが・・・もうちょっとキレイにつかってくれよな~(笑)
誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(14):★★ゴータ Gotha -2- に続きます。

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