誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(13):アルテンブルク Altenburg -4-

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(13):アルテンブルク Altenburg -3- からの続きです

引き続きアルテンブルク(Altenburg)の街を歩きます。特徴のある Brüderkircheまで歩き、またマルクトに戻ってビールを一杯呑んで一服して駅に向かいます。最後に「へぇ?」と驚くトリビアがあります。

マルクト広場から西に繋がる道の先に、赤レンガ造りで、特徴的な外観の Brüderkircheがあります。建物の歴史はそう古いものではなく、1900年代に入ってからのもで、ネオゴシック様式とユーゲントシュティル(アールデコ)の混合とされています。(独語 Wikipediaはこちら)

マルクトに戻ると、やはり一番目立つ建物は広場の南辺に真ん中にある市庁舎(Rathaus)です。

Wikipediaによると、ドイツで最も重要なルネッサンス市庁舎のひとつとのことです。

市庁舎は 1561年から 1564年の間に建てられました。この計画は Nikolaus Gromannからのもので、建設は Caspar Böschelが主導しました。市庁舎内および市庁舎でのすべての彫刻作品は、ゴータにある Hermann Wernerのワークショップからのものであり、一部はイタリアのモデルに基づいています。 市庁舎は早くも 1663年に初めて改修され、1864年に2度目の修復が行われました。1923/1924年に、市庁舎とスタイル的に一致する貯蓄銀行(Stadtsparkasse)の増築分が追加されました。


ちょっと日が差してきたので、外のテーブル席に座ってビールを一杯・・・至福の時間(笑)

↓↓ ここから先は、来た時とほぼ同じ道を通って駅に戻ります。クリックするとスライドショーになります。


駅に着くと、青少年のための「ドラッグ中毒の啓蒙のための企画列車」が停まっていました。

さて、手順前後ではありますが、アルテンブルクの紹介動画を貼っておきます。

さて、最後にトリビアを一つ。領邦国家群は 1918年 11月にドイツ帝国の皇帝ウィルヘルム2世が退位し、所謂「ワイマール共和制」に移行することで消滅したわけですが、その君主や縁戚を含めて一族郎党が断頭台の露と消えたわけでもなく、追放されたわけでもないので、貴族の制度や特権が無くなったとはいえ、家系・家名そのものは継続します。まあ、西独と東独では法体系は当然違っており、財産没収(Enteignung)の手続きや厳しさも違ったはずで、東西で同じ扱いを受けたかどうかはわかりませんが・・・

Wikipediaによると、このザクセン=アルテンブルク公の家系の男子が独身を通して(男系)家系が途絶えそうになった時に、「プラシューマ家 Praschma von Bilkau」というチェコの貴族の家系の末裔の男子が、養子として縁組され、血統は途絶えたけれど家系・家名は存続しているとのことです。

そしてその(養子によって引き継がれた)家系の末裔「シュテファニー・フォン・ザクセン・アルテンブルク」(1965年~)という女性は日本の九州大学に留学し、宇宙飛行士の「若田光一」さんの妻となったとのことです。

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(13):アルテンブルク Altenburg の項目を終わります。

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