誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(13):★★★アルテンブルク Altenburg -2-

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(13):アルテンブルク Meiningen -1- からの続きです

引き続きアルテンブルク(Altenburg)の街を歩きます。お城を通り過ぎマルクトに向かいます。



ドイツの街には「市庁舎(Rathaus)」「マルクト広場(Marktplatz)」「教会(Kirche)」が三点セットであるものですが、レジジデンツシュタット(領邦国家の公爵・侯爵の居城がある街)には「劇場(Theater)」がつきもので、また「郵便局(Postamt)」も立派なのものがあるのが通例です。劇場は Staatliche Theaterと呼ばれ、日本語では「国立劇場」と訳されたりしますが、ここでいう「国立」の国とは領邦国家のことであることがほとんどで、日本の国立劇場とは異なる感覚です。Staatsoper「国立歌劇場(歌劇団)」の Staatも同様ですが、歌劇場のある都市といえばミュンヘン、ハンブルク、シュツットガルト、ハノーファーやベルリン、ウィーンなどで、領邦国家でもかなり有力なところということになります。

スカートの泉 Skatbrunnen

ドイツの街角で、日本の縁台将棋のような感じで、比較的高齢者がカードゲームに興じているところに出会うことがあります。トランプと実質的に同じカードを使いますが、全部ではなくその一部を使う(写真のように2~6の札を使わない)「スカート(Skat)」というゲームです。ルールは日本語の Wikipediaに詳しく書いてありますが、詳しすぎてよくわかりません(笑)。ザックリ言えば、高校生の頃よくやった「ナポレオン」に近いような気がします。

このゲームの発祥の地がこのアルテンブルクで、Wikipediaには次のような概説があります。

19世紀初頭ドイツのテューリンゲン地方の町アルテンブルクで、シャーフコップフ(Schafkopf)、ロンブル(L’hombre)、ドイツ式ゾーロ(ドイツ語版記事)、タロック(Tarock)をもとにしてできたとされている。スカート(Skat)の語源はイタリア語のscartareやフランス語のécarterで、伏せて置くという意味。1830年頃からドイツ全土へと広まり、特にライプツィヒ、ハレ、イェーナの学生の間で流行。次第に賭博にも使われるようになり、それにより得失点を倍増させる多くの変則ルールが加わった。その後ルールを統一する目的から、1886年にアルテンブルクで第1回スカート会議が開かれ、ドイツ・トーナメントルールが制定される。1899年にはドイツスカート連盟Deutscher Skatverband (DSkV)が発足。

アメリカではすでに1876年にドイツ移民によりスカートが伝わっており、1878年にはニューヨークで第1回アメリカ・スカートトーナメントが開かれ、1898年に北米スカートリーグが設立される。トーナメントの開催が増えるにしたがい、ルールの紛糾点を明らかにする必要から、1927年アルテンブルクにスカートルール裁判所が設立される。そこにルールの問題点が寄せられ改善されることで、現在のルールができあがった。現在のトーナメントで使われているルールは、1999年にドイツスカート連盟と国際スカートプレイヤー協会International Skat Players Association (ISPA)により定められた国際スカートルールInternationale Skatordnung (ISkO)である。

駅から歩いてきてお城が見え始めるあたりから、旧郵便局あたりまでは「ローザ・ルクセンブルク通り(R0sa-Luxsemburg Strasse)」と、革命家の名前を冠したいかにも旧東独らしい道路名ですが、そこから先は「ブルク通り(Burg Strasse)」となります。そこを少し進むと右手に「ザンクト・バルトロメイ教会(St.-Bartholomäi-Kirche)」が現れます。

2011年、このエヴァンゲリッシュ(福音派)のゴシック様式の教会は、テューリンゲンの他の 6つの教会とともに、全国で合計 22の宗教改革の拠点としてヨーロッパ文化遺産に選ばれました。

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