誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(1):★★ ゲルリッツ Görlitz ーその6ー

★ ゲルリッツ Görlitz ーその5ー からの続きです

Neisse川に架る橋を徒歩で渡り、ポーランドの「ズゴレジェッツ Zgorzelec」になった部分を歩きます。

Google Mapで「Altstadt Brücke」と表示されている橋を渡り、ポーランド側に入ります。橋の上から、赤白に塗り分けられたポーランドの国境標識柱の横に、既に用無しとなった国境係官用のボックスが見えます。意味不明の塔に、意味不明なモザイクが貼り付けてあります。下の方に何枚か貼り付けてある金属性のプレートのロゴがいかにも時代(日本で言えば昭和)を感じさせます。

ポーランド側に入った正面に、なんと「サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の道」であるという説明看板があります。へぇ~!右にはタバコ屋があります。タバコには一般に高い税金がかかっているので、国境を挟んで税金の安い側には「まとめ買い」をする隣国人のためのタバコ屋があることが多いです。ガソリンも税金の安い方で入れるのは当たり前になっています。

余談ですが「世界でもっとも古くからあるとされる(女性の)職業」も、国によって規制が異なるので、国境を挟んで規制の緩い側には、そういう職業女性が営業していることが多いです。特に幹線道路にはトラックが通関待ちや交通規制で長時間渋滞することが多く、需要も多いからです(笑)

私は橋を渡って左手の方向に歩きだし、緩い坂道を登っていきました。このあたりの家は、綺麗にリノベーションされたものと、何故かそこから漏れ荒れたまま残っているものが混在しています。しかし想像してみて下さい。東西ドイツの壁が崩壊したころは、旧東独側の建物の殆どがこういう状態だったのです。それはこのシリーズの後半で30年前のゲルリッツの写真をアップしますのでご覧ください。

坂を上って振り返ると、ドイツ側の Pfarrkirche St. Peter und Paulが見えます。そしてもう少し進んで、団地の敷地の中に入ることにします。

コンクリート板で構成された「Plattenbau」と呼ばれる安普請の団地群

旧東独にもよく見られたタイプの団地です。Plattenbauという総称で、骨格の上にコンクリート板を貼り付けるみたいな簡易的な工法で安上がりに建てられています。旧東独のこういう団地はドイツ統一後にかなりの資金と時間をかけてリノベーションされましたが、ポーランドではやはり経済事情を反映してか、かなり傷んだ状態か、当面の措置みたいなリノベで凌いでいる印象です。

敷地の中には小さな売店が有り、日用品を売っています。原色のアイテムが多く、高級品はありません。また、ドイツではあまり見られない光景ですが、ベランダに洗濯物が干されています。最近日本で流行りのタワーマンションのような高級感は無い一団地ですが、こういう生活感がある場所って結構好きです。ポーランド語は挨拶くらいしか分かりませんが、それでも周辺状況から推理しつつ歩いていると、そのうちなんとなく言いたいことが分かったような気がしてくるもんです(笑)

★ ゲルリッツ Görlitz ーその7ーに続きます

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