- 2022-12-28
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テューリンゲン州東部の町、バート・ケストリッツ Bad Köstritzをご紹介します。「ö:オー・ウムラウト」なので、発音としては「コェストリッツ」とでも書く方が少しばかり原音に近いかも知れませんが、あまり拘らず日本流にケストリッツと記します。
既にご紹介したゲーラ(Gera)からはライプツィッヒ方面に鉄道で一駅、約 5分のところにあり、ゲーラやグライツと同じくロイス家の分家の居館が有った町です。また Köstritzerという黒ビールはドイツ全国で愛飲されている有名なものですが、町としての非知名度は★★★が妥当なところと思います。
Wappen | Lage | Data |
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市の公式サイト
独語 Wikipedia
テューリンゲンの観光サイト
まずは独語 Wikipediaを引用しておきます。「バート・ケストリッツは、テューリンゲン州のフォクトランド北の出口にある小さな町である。ビール、鉱泉、花(Bier,Bad,Blumen)の3つの「B」で有名になった町。この町の名前は 1364年の文書に初めて登場するが、町そのものはもっと古くからある。その上には、K.F.シンケルの署名が入った独特な塔を持つ「聖レオンハルト」教会がそびえ立っている。1678年以降、プロイセン・シュライツ家の系統が荘園を所有するようになるまで、何世紀にもわたってフォクトランドの廷臣がこの地域を支配していた。1704年の完成後、ケストリッツ城は侯国全体に知られるようになった。作曲家のハインリッヒ・シュッツや詩人のユリウス・シュトルムなどが有名である。
ゲラ-アイゼンベルク-イエナ間の旧軍用道路のエルスター浅瀬に位置し、その発展に大きく貢献した。17世紀末、ケストリッツはプロイセン領シュライツの独立した領地となった。1585年 10月 8日、この町で最も有名な出身者、ハインリッヒ・シュッツ(Heinrich Schütz)は、父親の経営する「オーベル・シェンケ」(後の宿屋「ツム・ゴールデン・クラニヒ」)で日の目を見ることになった。ハインリッヒ・シュッツは、ドイツにおけるプロテスタント声楽の創始者であり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ以前の最も重要な作曲家と考えられている。偉大な作曲家に敬意を表し、彼の生家には「ハインリッヒ・シュッツ研究・追憶の家」が設立された。1985年、生誕 400年を記念して、市内中心部に近代的なハインリッヒ・シュッツの記念碑が建てられた。
1543年には、ビール醸造と販売の権利をユンカーであるブルクハルト・フォン・ウォルフラムスドルフ(Burkhard von Wolframsdorf)に与えたという文書が残されている。しかし、ケストリッツではそれ以前からビールが醸造されていたことが、古い教会の記録から証明されている。19世紀末、ロイシッシュ・フュルストリッシェ・ブロイライ(Reußisch-Fürstliche Brauerei)はケストリッツァー・シュヴァルツビアの名声を確立し、今ではビール通なら誰もが知っている名品となった。今日、「ブロンドの魂を持つ黒ビール」は、ドイツで最も重要な黒ビールの一つである。
ケストリッツは 175年以上にわたって、花やマーケットガーデン、果物の栽培が盛んな場所である。1824年にケストリッツにやってきたカーラ(Kahla)出身の庭師、クリスチャン・デイゲンは、この伝統の創始者のひとりとされている。メキシコから輸入されたダリアに興味を持ったのだ。その結果、この花は急速に普及し、現在も町と深い関わりを持っている。連邦園芸博覧会 2007(Bundesgartenschau)以降、ドイツダリアアーカイブ、常設展示、希少品種や天然ダリアを集めたミュージアムショーやティーチングガーデンなど、ダリアの代表的なセンターとなっている。25年以上にわたって、ダリア祭りは毎年、何千人ものゲストとともに祝われてきた。ダリアの女王は、1年に 1度、Bad Köstritzの町を公に紹介することを許されている。」
★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz -2- に続きます