誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(53):★★★ゼンマァダァ Sömmerda -4-

★★★ゼンマァダァ Sömmerda -3- からの続きです

航空写真で見れば、中央のやや右上の四角いエリアが所謂「マルクト広場」ですが、そこに立って周囲を見渡すとなにやら違和感があります。戦災を受けず無傷だった・・・そんな Wikipediaの記述から期待していた旧市街のた佇まいとはかなり違っています。まずは動画をご覧ください。

歴史的な建造物というわけではないので「Wandmalerei」「DDR Kulturdenkmal」などのキーワードに Sömmerdaを加えてネット検索してもあまり多くの情報にはヒットしません。いくつか見つかったのは「市場の南側とマルクト通りの南側にあるゼンマァダァらしい家屋が取り壊され、大きなビルに建て替えられるという市場広場周辺の街の中心部の『復興』は、新しい店舗も多く生み出している。」(ソースはこちら

また Thüringer Allgemeine紙のネット版に「ソンマーダ ドイツ民主共和国時代の文化的モニュメントを地区内で見つけるのは困難であるが、1997年と1999年に、そのうちの 3つが、センマァダァ地区のすべての特別保護建造物のリストに載ったのだ」、「センマァダァでは、マルクト広場南側の家屋番号 18から 23までが、1970年代のドイツ民主共和国建築の特徴的な建物として、ほぼそのまま保存されており、モニュメントに指定されている。ここは住宅協会が所有しており、34戸のアパートと 6戸の商業施設がある」とあります。この先の記事は有料なので読んでいません(笑)

要は、戦災を免れたものの、戦後東独経済がまだ成長していた時期に、歴史的な建物を撤去して社会主義様式の集合住宅を建てたということですね。西独ならこういうことは起こらなかったでしょう。

上の表は人口推移ですが、1839年には 2,591人だった(城壁に収まりきる人数だったと考えられます)ところ、Johann Nicolaus von Dreyseの金属加工工場の発展とともに人口は増加していきます。1901年には Rheinischen Metallwaaren- und Maschinenfabrik AG (Rheinmetall)の傘下となり武器を製造しますが、第一世界大戦後のベルサイユ条約で民生品の生産に転じます。第二次世界大戦後も旧東独の電気電子製品のブランド Robotronの傘下となり、東独崩壊後まで人口は増加します。

こういう人口増加を収容するための住宅は半円形の旧市街の外側に発展していったことが航空写真から見て取れます。航空写真の下の方にある赤い印が von Dreyse由来の工場で、現在は富士通テクノロジーソリューションズとなっています。

マルクト広場南側の旧東独様式の集合住宅に入居している店舗は「WOOLWORTH」という名称です。独語 Wikipediaによれば「WOOLWORTH社は、全国に 480以上の百貨店を展開する小売企業である。大株主は、ドルトムントに本社を置くHHホールディング。商品は、装飾品、家庭用品、電気製品、ドラッグストア、ギフト用品、そして家族全員のための衣料品など多岐にわたる。同社によると、ウールワースは、全国に 1,000の百貨店を展開することを目標に掲げている。毎年、都市中心部、地区中心部、リテールパークに約 50の新しい店舗がオープンさせている。2020年、ヴェストファーレン州ウンナに、隣接する物流施設を備えた新本社を開設した。」

WOOLWORTHのブランドは、米国が発祥の地である。1879年 2月 22日、実業家 Frank Winfield Woolworthは、彼の名を冠したF.W.WOOLWORTH社を設立した。彼の店(「偉大なる 5セント店」)では、すべての商品をカウンターに並べてオープンにし、5セントや 10セントの均一価格を提示した。当時はまだ、商品を棚に並べて保管し、お客様の要望があったときだけ提示する習慣があった。しかも、定価はほとんどなかった。

1926年 11月 2日、アメリカの F.W.WOOLWORTH社のドイツ法人がホテルアドロン・ベルリンに設立された。1927年 7月 30日、ブレーメンにドイツで最初の WOOLWORTH百貨店がオープンした。アメリカでおなじみの均一価格制(この国では 25ペニヒと 50ペニヒ)とオープン・プレゼンテーションの考え方は、こうしてドイツにも入ってきたのである。

1932年 3月、WOOLWORTHグループが国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)を数回の金銭寄付で支援していたことが知られるようになった。

長い間、WOOLWORTHはドイツでさまざまな子会社を運営していた。また、ルビンの名で営業していた宝飾店もあった。現在も存在する子会社は、フットロッカーなど、かつてのアメリカの親会社の一部として、部分的に独立して運営されている。1979年、ウールワースはまだ世界最大の百貨店企業であったが、経済的に苦境に陥った。1997年、アメリカで最後のデパートが閉鎖された。」とあります。ドイツ法人もその後 2009年に破産申請を行い、2010年に再出発します。ドイツ全土に広く展開していますが、比較的安価な日用品を扱う庶民的な店という印象です。チラシはこちら

なおオーストラリアに似たような名前で「WOOLWORTHS」というのがありますが、これは全く別の企業で、ありていに言えば名前をパクったというのが真相のようです(笑)

★★★ゼンマァダァ Sömmerda -5- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る