誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(91)★★★リュープツ Lübz -6-

リュープツ Lübz -5- からの続きです

Lübzer Brückeは Elde川を航行する船を通すために可動橋になっています。

Brunnen „Schirmkinder“ (von Christian Genschow) 分かりにくいですが「傘をさした子供」の像がある噴水です

来た道を他に選択肢はないので、来た道を帰ります

ZOBに戻って来ました。

★★★ リュープツ Lübz の章を終わります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

ほかに書くところが無いのでここで紹介しますが、Lübzと次章でご紹介する Parchim(パルヒム)の間に Romという村があります。え?イタリアでもないのに Rom?いや、それだけです(笑)

ただよく見ると。町(自治体)の名前を示している黄色の看板には「Rom Kreis Parchim」と書いてありますが、その下はなにやら黄色いテープのようなもので覆い隠した跡が見えます。これは東独が西独に編入されるにあたり行政区分が変わることになった過渡期を表しています。

東独では 14の 「Bezirk(県)」という自治体に分かれていたもの、西独に編入されるにあたり歴史的な行政区分を尊重して 5つの「Bundesuland(州)」に再編(というか戦前に戻す)されることになりました。この時期はまだ東独が存在していましたが、その準備として「Bezirk Schwerin」消したものだろうと想像されます。

大げさに言えば、こんなスナップでも「歴史の証人」的なものなんですよ!この時期に撮った写真は殆どがそういう資料的な価値を持っていますし、それを意識して撮っていました。下に2件そんな例を挙げておきます

シュヴェリンの写真屋さんの店先ですが、ガラスのショーウィンドウに赤い文字で書いてあるのは「FOTOARBEITEN, JETZT AUCH IN FARBE」・・・写真加工、カラーも始まました!1990年といえば西独ではカラー写真など当たり前でしたが、ここではまだこれからだったようです。

同じくシュヴェリンの道路にあった看板です。まだ東独が存在してはいましたが、当時は既に西独からのビジネス客や観光客が激増していた一方で宿泊施設は不足していました。そこに目を付けて「UNTERKUNFT GESUCHT? Zimmer Frei」(宿泊場所をお探しですか?空き部屋あります)という看板が掲げられています。

リュープツ Lübz -7- に続きます

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