誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(16):★★ミュールハウゼン Mühlhausen -4-

★★ミュールハウゼン -3- からの続きです

マリエン教会から、バッハが教会付オルガン奏者を務めていた聖ブラジウス教会まで、緩い坂道を下っていきます。

マリエン教会から南にマルクト・ガッセ(Marktgasse)を下って、途中ヴァル通り(Wallstrasse)を左折、それがユーデン通り(Judenstrasse)に変わるあたりを右折してリンゼン通り(Linsenstrasse)を進みます。前項の廃屋はこの辺りにあったものです。

この辺りに市庁舎(Rathaus)が有ったはずなんですが、ステレオタイプの「マルクト広場があって、そこに面して立派な建物がある」という構図を想像していたので、うっかり見落とした様です。

リンゼン通りを少し進むと右手に少し開けた場所(Kornmarkt)があり、そこに面して Kornmarktkircheがあります。この教会にも「Gedenkstätte Deutscher Bauernkrieg」という文字が取り付けられています。

そのまま南下すると、通りの向こうに立派な教会が見えてきます。通りを抜けて開けた場所には二つの尖塔を持つ Divi-Blasii-Kircheが堂々と聳え立っています。

駅から真っすぐ西に歩き、分岐点を反時計回りに、それほど大きくはない旧市街を歩きます。

ここはバッハが 1707年~1708年の僅か1年ではありましたが、教会付オルガン奏者を務めていたことで知られています。Wikiによる関連部分の解説を引用しておきます。

バッハは1707年4月24日に帝国自由都市ミュールハウゼンでオーディションを受けた後、7月1日に Divi-Blasii-Kirche教会でオルガニストとして同地に赴任しました。彼の給料は 85グルデンに加えて、現物収入と近隣の教会からの収入でした。これは、前任者と後継者よりもはるかに高い収入であり、家族を養うことができました。1707年 10月 17日にマリア・バーバラ・バッハと結婚、7人の子供を設けることになります。

バッハは委嘱を受けて 1708年 2月 4日の評議会の交代のために祝祭カンタータ「Gott ist mein König(BWV 71)」を作曲しました。これは、この時代に印刷され生き残った唯一の楽譜です。

1708年 6月、バッハはヴァイマールのオルガン改修工事の完成に伴い、ヴァイマールを訪れ、ヴィルヘルム・エルンスト公爵の前で演奏しました。彼は宮廷オルガニストと室内楽奏者の職に就き、給与は 150グルデンの給料と現物支給でした。ミュールハウゼンの大火事で生活費が高騰したため、バッハは就任からわずか 1年後の 1708年 6月 25日にミュールハウゼンの職を解いてくれるようよう要請しました。後任はヨハン・クリストフ・バッハの息子であるヨハン・フリードリッヒ・バッハ(1682-1730)でしたが、このバッハの後を継いだのは、ヨハン・クリストフ・バッハの息子であるヨハン・フリードリッヒ・バッハ(1682-1730)でした。しかし、ヨハン・セバスティアン・バッハはミュールハウゼンの町との関係も保ちました。その後 2年間、評議会変更のためのカンタータの注文を受け、これも町の費用で印刷されましたが、消失してしまいました。

MLH Divi Blasii 02.jpgCC BY-SA 4.0, Link

教会の名前と言えば「マリエン」「聖ミヒャエル」「聖パウリ」「聖ヨハネス」・・・みたいな、マリアか十二使徒の名前が冠されたものが一般的ですが、Divi-Blasii-Kircheとは何でしょうか?調べてみると「聖ブラシウス」に行き当たります。Wikiにあるようにカトリックでは聖人であり 11世紀~12世紀にヨーロッパで信仰が広まったとされています。実際「St.Blasius」を冠した教会はググってみると結構出てきます。

Hans Memling 002.jpgリンクによる

ネットで検索したところ、断片ですが「Die evangelische Kirche im thüringischen Mühlhausen ist nach dem Heiligen Blasius benannt. … Konfessionswechsel der Gemeinde zum Protestantismus führte dazu, dass “sanctus” für “heilig” ersetzt wurde durch “divus”.テューリンゲンのミュールハウゼンにあるプロテスタント教会は、聖ブラシウスにちなんで名付けられました。 …会衆の宗派のプロテスタンティズムへの変更は、「聖なる」の「聖域」が「神聖な」に置き換えられたことを意味しました。」という記述が見つかりました。推測では、元々カトリックの聖人ブラシウスを祭ってあったところ、宗教改革でこの地がプロテスタントに改宗した際に「聖なる」のラテン語 sanctusを、解釈の違いで同じような意味を持つ別のラテン語 diviに変更したということでしょうか・・・

↑↑ウンターマルクト(Untermarkt)から Divi-Blasii-Kircheを眺める。こここから駅に戻ります。

★★ミュールハウゼンの項目を終わります。
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