- 2021-1-15
- ブログ
駅から真っすぐ西に歩き、分岐点を反時計回りに、それほど大きくはない旧市街を歩きます。
緩い坂道を歩いていくと旧市街は歩行者天国になっています。この町を歩いたのは 2016年 12月のことで、クリスマスの電飾が見られますが、あまり華やかな感じはしません。まあ時間がやや中途半端で、すっかり暗くなってからだと印象も違ったかもしれませんが、クリスマスマーケットの屋台なども見当たりませんでした。
街中を歩いて行っても、人通りも少なく、いまいちパワーを感じないのが残念ですが、旧東独のこのサイズの町は、観光客を惹きつける余程の名所や、重要な産業が無いと多かれ少なかれこういう雰囲気になっています。東独時代は紙幣の肖像に描かれたほどのトマス・ミュンツァーだけでは観光の目玉にはならないのかも知れませんが、日本人音楽愛好家にも絶大なファンの多いバッハが居た町でもあり、マーケティング次第ではもう少しやりようがあるように思えてなりません。
人口は 1949年、旧東独の建国の年に約 52,000人あったのがピークで、以来漸減し続け、東西ドイツ統一後もその傾向に歯止めがかからず 2018年には約 33,000人まで落ち込みます。ただ 2019には 36,000人にまで「激増」しています。なにかいいことが有ったのか、周辺の自治体を組み込んだのか・・・わかりません。
シュタインシュトラーセの緩い坂道を登り切った岡の右手にマリエン教会が建っています。
Wikipediaによれば「テューリンゲン州の町ミュールハウゼンにある聖マリア教会は、エアフルト大聖堂に次いで同州で 2番目に大きい教会です。主に 14世紀にゴシック様式で建てられました。高さ 86.7メートルの中央の尖塔は州内で最も高く、町のスカイラインの目玉となっています。聖マリア教会は、革命指導者トーマス・ミュッツァーが牧師としてここで働いていたことから、1525年頃には農民戦争の中心地となっていました。」とあります。
今日では「マリエン教会は1975年以来教区教会ではありませんが、ミュールハウゼン博物館協会の博物館として、また福音教区ミュールハウゼンの礼拝教会として使用されています。説教壇の権利は、町の中心部の教区である Divi-Blasii 及び St. Marienの福音派牧師によって保持されています。ミサは、イースターの日曜日、聖霊降臨祭の月曜日、町祭りの期間中、改革の日とクリスマスイブに定期的に行われます。教会でもコンサートが行われ、1985年から2001年まで、国際コンサートシリーズの開催地となっていました。」とあります。
CC BY-SA 3.0, Link
さてマリエン教会をを後にして南に向かい、緩い坂道を下って、バッハがオルガン奏者をしていた Divi-Blasii-Kirche(聖ブラジウス教会)に向かいます。が、途中に残念なものを見ることになります。メンテナンスをしないままに空き家になり、放置され廃墟化した挙句、倒壊寸前になった家屋です。ドイツによくある木組みの家(Fachwerkhaus)ですが、木部に防水・防腐加工を定期的に施さないと、それが傷んで荷重に耐えられなくなって傾いたり、倒壊の危機に瀕することになり、ある限度を超えるともはや修復不能で取り壊すしか手が無くなります。旧東独時代も既に、修復するための資材不足からかなり酷い状態ではありましたが、それでも家屋は人が住んでいるうちはなんとか最低ラインの状態を維持していました。
が、統合以来、長期的に見れば西側や大都市部への人口流出が続き、放置された家屋はこういう状態になります。修復不能な廃墟は Stadtzanierung(都市改修)などとして美観回復や治安維持の観点から徐々に撤去されてきましたが、1990年の統一から 26年も経った時点でまだこういう廃墟が残っている・・・恐らく撤去予算が確保できていないと思われます。こんなところにも、旧東独市民が「二級市民」と自虐的に自称する東西の格差を垣間見てしまうのです。