誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(16):★★ミュールハウゼン Mühlhausen -2-

★★ミュールハウゼン -1- からの続きです

駅から真っすぐ西に歩き、分岐点を反時計回りに、それほど大きくはない旧市街を歩きます。下の Wikipediaの写真はその分岐点から旧市街を撮影したものと思われます。
View from Rabenturm in Mühlhausen.jpgCC BY-SA 3.0, Link

まず駅ですが、凄く立派な建物であるにも関わらず、旧東独の殆どの駅と同様「無人駅」となっています。この画像をアップする際に初めて気が付いたのですが、向かって左手の階段の上に赤いポスターが立てられており、Imbissくらいはあったようです。ただこの日はそれに気が付かないくらいで、駅の窓口業務は完全に停止されていました。これだけの駅近の不動産物件を・・・勿体ないなあなんて考えるのは、貧乏性の日本人くらいなのでしょうか(笑)


もう一つ・・・この「BAHNHOF」のフォント(Schriftart:書体)は旧東独の駅に特有のものと思われます。下の写真はそれぞれ「Gotha」と「Angermünde」のものですが、GOTHIC BOLDのような書体が使われています。(↓↓クリックすると拡大します)

駅前ロータリーから見える建物ですが・・・こんなことになっています。冒頭の地図でいえば、半円形の駅前ロータリーから「アウグスト・ベーベル通り」が始まる角にある建物です。またまた「駅前物件がなんと勿体ない」・・・と溜息がでてしまいます。ちなみにアウグスト・ベーベルとはこういう人です。旧東独の通りの名前に付けられるののふさわしい人物です。

旧市街に向かう通りは「Karl-Marx-Straße」で、旧東独では各地域のメインの通りとして最もポピュラーな名前でした。これは旧東独建国後に元の通りの名前を改名したものですが、東西統一後に元の名前に戻すところと、そうでないところに分かれました。ここは旧東独時代に改名したものをそのまま維持しています。

Karl-Marx-Straßeを旧市街に歩いていく途中の右手に学校があります。ギムナジウムでしょうか・・・「THOMAS MÜNTZER SCHULE」とあります。旧東独には左翼的な人の名前を顕彰した学校名が数多くありましたが、Karl-Marx-Straßeにある、東独の聖人的な Thomas Müntzerの名を冠した学校は、かなりのエリート学校だったのだろうと想像されます。

★★ミュールハウゼン -3- に続きます

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