三十年前のドイツ(38):1989年11月23日木曜日 東西ドイツ国境

三十年前のドイツ(37):1989年11月10日金曜日・12日日曜日 東西ドイツ国境からの続きです。

ニュース番組の Tagesschauは勿論、ベルリンの壁崩壊の後も毎日続きますが、YouTubeにアップされているものは、やはり壁崩壊をピークとして少しずつ数が減っていきます。こちらは別途また検索してフォローしていこうと思います。今回は、30年前の同日からは少しズレてしまいましたが、11月23日に近所の東西国境に出かけた時の写真をアップします。ベルリンの壁崩壊から2週間後のことです。

場所はここでも取り上げたZicherie近辺です。


↑↑この場所は Zicherieの少し北、Bromeから旧東独に繋がる国境です。なにぶん、東西ドイツが分断されて以来、30年近くに亘って道路も分断され、東独側は脱走防止のために様々な封鎖設備を建設してきた・・・そこを、それ以前の様に道路として整備する必要があるわけですね。なかなか一気に、一夜にして30年も前の状態が復元できるわけはありません。ここは、それでも頑張って道路を整備したように見えます。この時点ではまだ西独から東独にはビザが必要でしたが、東独から西独に来るものは拒まず、かつ国境で様々な優遇措置も提供されていました。コンテナ小屋のようなものはそういう西独の役所の出先機関です。

左の写真は、少し手前にある標識と看板です。「自動車とバイクは通行禁止」という標識がまずあります。その下の「DDR Reisende frei」というのは「東独(市民)の旅行者は通れますよ」という意味です。そしてその下の細かい文字は「西独市民が東独に入国するには、有効なパスポートと入国ビザが必要です(国境警備局:ブラウンシュヴァイク)」と書いてあります。

そう、ベルリンの壁が崩壊して2週間後、この時点ではまだ東独からの出国が東独の法律上で自由になった(西独はちゃんと法整備したかどうかはさておき、それを歓迎して受け容れた)ということで、西独市民が自由に東独に入国できるようになったわけではないのです。それはもう少し後、ドイツ人にとって大切なイベントであるクリスマスになって初めて自由になります。西独に住んでいた私のような外国人が自由に東独に入国できるようになるのはもっと先のことでした。

右の写真は、当時日本から出張に来た同僚と私の息子です。後ろには「止まれ!ここが国境!」という看板と、その向こうに東独の監視塔が見えています。が、もはや監視兵はおらず威圧感はありません。

 

さて、分断された双子村 Zicherie-Böckwitzの Zicherie側です。

ベルリンの壁が崩壊して2週間後、東西の壁もかつて道路が通じていたところのフェンスが撤去され、道路も急速に復旧していきます。ここもつい最近復旧したと思われ、国境に大勢の人が見物に来ています。西独から東独への自由な入国が認められたわけではないので、国境線に人が集まって向こうを見ています。西独の警官も出動して、なし崩し的に妙なことにならないように規制をしています。

ここは前年、1988年に東京から旅行に来た同僚を案内した時には右のような感じだったのですが、比較してみて下さい。黄色の看板は町の境界を示すものですが、以前はその向こうが空白だったものが、既に Böckwitzの地名が記入されたものに付け替えられています。こんなところにも、当時の東西統一への期待と熱意を感じるのです。


とはいえ、いきなり凄い交通量になるはずがありません。まして東独側で国境に隣接する集落は残っている方が希少で、元々の住民の多くはもっと国境から離れた場所に強制移住させられていたのです。規制をしている警官もなにやら手持無沙汰ではあります。たまに東から人が出てくると「お、来た来た!」と、ちょっと歓迎ムードです。

仮設道路の上を、幼児をバギーに乗せた母親がやってきます。こちら側では皆が大拍手で迎え、ちょっと照れ気味です。

当時、西独では「店舗閉店法(Ladenschulussgesetz)」という法律によって、店舗の営業時間が規制されていました。平日の営業時間は18時まで、土曜日は14時まで、日曜日は(レストランや花屋など一部の例外を除き)閉店しなければならないというものでした。これは日本から来た駐在員をおおいに戸惑わせたものです。

しかし、ここではその法律を枉げても東独市民に便宜を図ろう!という熱意を感じます。もちろん、そこにはいくばくかの商売っ気があったであろうことは否定しませんが・・・

「ようこそ!私達ブロームの住民は、東独からの友人を心より歓迎いたします。買い物の便宜のために、私達の店舗の開店時間を下記のようにします。平日20時まで、土曜日もずっと20時まで、日曜は9時から16時」・・・おお、日曜も店を開けるんだ!こりゃ、画期的だなあ・・・と思ったものでした。町中が歓迎ムードに溢れていたのです!

(この項、後日補足・加筆予定です)
加筆したものがこちらですが、この記事とあまり変わっていませんね(笑)

三十年前のドイツ(39):Ist Leipzig noch zu retten? ライプツィヒはまだ救えるか?に続きます

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