誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(74)★★★ グラァボウ Grabow -3-

★★★ グラァボウ Grabow -2- からの続きです

Elde川に架かる橋を渡って市内に入り Marktstrasseを歩きます。端から端まで歩いて 220m、3分の距離です。こういうコンパクトな町はいいですね!駅からも近いし・・・楽です(笑)<-そこ?(笑)

一般にドイツの地方都市は 1850年頃から鉄道網が急速に整備され始めた際にはまだ城壁が残っており、駅はその外側に造るのが普通でした。煙を吐く得体のしれないモノを街中に招き入れることにも抵抗があったと考えられます。その後、自動車が劇的に増加し、町も発展して人口が増加し遂には城壁を(城門くらいを残して)撤去することになりますが、駅は町の中心から離れたところに遺されます。結局、今日こういう町歩きをしようとすると、駅から町の地位寸まで1~2キロは歩く=往復で2~4キロくらいは歩くことになります。

なので、たまにこういう、駅から町の入り口まで 400m、メインの通りが 200mなんてコンパクトな町にあたるとラッキーなんです(笑)

右の写真は 1900年ごろのものと思われますが、左と同じ場所と思われます。細部の組み方は少し異なっていますが、右手の木組みの家の2階部分が同じに見えます。クリックすると拡大します。

Rathaus(市庁舎)1727年に建てられたファッハヴェルク造りの可愛らしい建物は、今もグラボーの小さな町の中心で目を引く存在である。グラボーの観光案内所も市庁舎内にある。グラボーの市庁舎は、1725年に火災に見舞われた後、名工クリスティアン・ライヒェルと地元の職人ヨアヒム・シュルベックによって1727年に再建された。

この市庁舎は、エルデ川沿いのカラフルな町のマーケット広場に面しており、グラボーの小さな町は、その保存状態の良いカラフルなファッハヴェルクの家々の数々から、よくそう呼ばれている。市庁舎もまた、この町の中心部の典型的なスタイルで建てられた。ファッハヴェルク様式の建物だが、2階建てでマンサード屋根である。バロック様式の市庁舎の代表的な特徴は、開放的な市庁舎の塔と玄関の二重階段によって強調されている。市庁舎に隣接する家は、改修工事の際に市庁舎と連結され、現在は行政センターの一部となっている。以前は郷土資料館があった。

歴史あるグラボウ市庁舎での結婚式:1998年に改築されたグラボー市庁舎では、このカラフルな旧市街の典型的なファッハヴェルク様式の雰囲気を味わうことができる。ここでは市民結婚式を挙げることができる。

Ratskeller:facebookのページにリンクを張っておきます。おぼろげな記憶によれば1990年、まだ東独が存在した時期にドライブの帰りにこの町に立ち寄り、ビールを一杯呑んだのはこの店だったのではないかという気がします。既に西側資本が入っており、所謂「★★の★★のような」東独ビールではなく、ちゃんと冷えた西独ビールだったのが印象的でした。確か曇った窓からファッハヴェルクのラートハウスが見えていたような・・・(だからこの店を選んだような・・・)。あ、ドライブの最中にビールを呑んだことは時効です(笑)この当時は、西独ではビール一杯くらいなら許容範囲でしたが、東独はゼロアルコールルールでした。

近頃はベトナム料理店に押されてすっかり勢いを失った中華・・・ここにはまだありました。

HOTEL STADT HAMBURG:ホテル・シュタット・ハンブルク・イン・グラボウ

有名な「Grabower Küsschen(註)」の故郷、エルデ川沿いのカラフルな町グラボウへようこそ。伝統的なホテル 「シュタット・ハンブルク 」では、美味しいお料理と行き届いたフレンドリーなサービスで、当ホテルでのご滞在が忘れられない思い出となるような雰囲気を演出しています。エルデ川の側線は、ウォータースポーツ愛好家がホテル専用の桟橋に停泊できるようになっています。夏の間は、愛情を込めてデザインされたビアガーデンが、お客様を長居へと誘います。お子様にはトランポリン、滑り台、ブランコがあります。

2022年春からは、新設のモダンなダブルルーム 9室をご利用いただけます。広々とした後方にはテラスがあり、楽園のようなビアガーデンとコーヒー・ガーデンをお楽しみいただけます。また、アクティブなレジャーをお楽しみいただくために、館内のダーツ・ステーションに加え、近隣の楽しい時間を過ごせる施設もご紹介いたします。居心地の良い客室は、お誕生日や会社、ご家族のお祝いなど、さまざまなイベントに最適です。当ホテルには 40名様までご利用いただけるホールもございます。

註:Grabower Küsschen:ドイツの割と定番のスイーツで、釣鐘状の形で薄いチョコレートのシェルの中にマシュマロ(生クリーム?)が入っているものです。グラボウがその産地とは知りませんでしたが、恐らくあちこちに同じパターンのものがあり、そこの地名を付けて流通しているのではないかと思われます。1981年、私がハンブルクに駐在していた当時は Negerluss(「ニグロのキス」と呼ばれていましたが、恐らく Neger(ニグロ)が差別的表現ということで使われなくなったようです。

Wiktionaryには次の解説があります:Negerkuss::起源:名詞 negroと kissの合成語。

このタイプの最初のチョコレート・ビスケットは、19世紀後半にフランスで製造され、tête de nègre→ fr (直訳:黒人の )と呼ばれた。このビスケットが20世紀初頭にドイツに紹介されたとき、その名前はほぼ直訳でモーレンコプフと呼ばれた。当時のメレンゲのフィリング(フランス語のbaiser→frは 接吻の意)のためか、Negerkussという言葉も同時に定着した。現在では、ネガーという言葉は差別的で軽蔑的なものとみなされており、また、チョコレートマシュマロメーカーが数多く存在し、それぞれの製品を差別化しようとしているため、現在ではメーカーがこの言葉を使用することはなくなっている。

しかし、この町・・・ファッハヴェルクの家並みがさりげなく、かつ綺麗に保存されていることに、じわっと感動してしまいます。Wipipediaの全訳は別途掲載しますが、その一部に:

1450年、カルシュテットの西にあるホルンヴァルトの森が、ヘンリー4世公によって町に寄贈された1499年、町は火事で焼失した。1603年、アンナ公爵夫人が城を宮殿に改築した。(中略)1725年6月3日、再び大火災が起こり、城、市庁舎、教会、町の大部分が焼失した。城は再建されなかった。その後、今日の町並みが形成された。町の中心部には、18世紀に建てられたファッハヴェルク様式の家々がほぼ完全に残っている。現存する最古の家屋は1702年5月23日のもので、市庁舎は1726年までに現在の形に再建された。(中略)町は第二次世界大戦をほとんど無傷で生き延びた。 1945年5月3日、赤軍による無抵抗の占領(米軍による占領という説もある)によって、町は終戦を迎えた。 これに先立ち、町の尊敬する医師ヴィリー・ヘーヴマンは、町長を含むナチスの指導者たちの前で、無意味な町防衛に反対する発言を公にしていた。

要は戦災を受けずに 1700年頃の建物がそのまま残っているということですね!素晴らしい!ただ、東独時代の末期にはご多分に漏れず、補修資材の不足から町はかなり酷い状況だったことは想像に難くありません。それをここまで修復するにはかなりの努力と補助金などが投入されたものと想像します。

詳しくは見ていませんが、ここに連邦(国)レベルの再興・修復プロジェクトの文書があります。またこちらにはそのプロジェクトにどういう町が選ばれたのかのリストがあります。再興・修復プロジェクトは歴史的景観を保護するという観点から西独の都市も選ばれています。しかし無数にある修復の必要性のある町の中で僅か 20件程度の中に入るにはかなりの熱意・努力・政治力が必要だったことでしょう。単なる偶然ではなかったはずです。しかしその甲斐は十分あったと思われます。

★★★ グラァボウ Grabow -4- に続きます

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