- 2022-9-20
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テューリンゲン州東部の町、ゲーラ Geraをご紹介します。関西で「ゲラ」といえば「ゲラゲラよく笑う輩」という意味になりますが(笑)ここはゲーラと少し延ばす感じです。町の面積でいえば州都のエアフルトに次いで2位、人口ではエアフルト(約 31万人)、イエナ(約 11万人)に次いで約 9万人と第3位です。
ここから比較的近い名の知れた町と言えば、北に約 60kmのライプツィヒ、西に約 80kmのエアフルト、南東に約 40kmのツヴィッカウ、東に約 70kmのケムニッツ、南に約 90kmのホーフあたりでしょうか。州都エアフルトは年配の方なら「エルフルト綱領」とか、イエナはカール・ツアイスなどで知られているかと思われますが・・・はてゲーラは?(笑)「非知名度」は★★★としておきます。
Wappen | Lage | Data |
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今回(2022年 5月末~ 6月初)の街歩きのテーマのひとつは「1871年のドイツ帝国(Deutcshes Reich)成立時、その構成国の州都だった町を訪問して『コンプリートする(全都市を訪問完了する)』」というものですが、今回の「ゲーラ(Gera)」と次回ご紹介する「グライツ(Greiz)」はロイス家という家系の所領だったので訪問した次第です。
ロイス家も例によって分割相続・断絶による親戚筋による相続統合などを繰り返し、最終的には「ロイス=ゲーラ侯国(独: Fürstentum Reuß-Gera)」と「ロイス=グライツ侯国(独: Fürstentum Reuß-Greiz)」に纏まります。前者は「弟系ロイス侯国(独: Fürstentum Reuß jüngerer Linie)」、後者は「兄系ロイス侯国(独: Fürstentum Reuß älterer Linie)」と呼ばれます。以下に日本語 Wikipediaの解説の冒頭部分を引用しておきます。
ロイス家(Haus Reuß)は、ドイツの領主の家系。ロイスの家名を名乗ったのは14世紀からであるが、家系は12世紀に遡ることができる。神聖ローマ皇帝の城代(Vogt)から領主・伯へと発展した一族で、テューリンゲン地方東部のフォークトラント(Vogtland)地方を統治した。1564年に兄弟で所領が分割されて以後、分割相続が繰り返されて多くの家門を分出。1778年にロイス=グライツ家(兄系ロイス家)が帝国諸侯(ライヒスフュルスト)の地位を得たのをはじめとして、一族の4つの家門が諸侯に列した。19世紀半ばには2つの侯国(兄系・弟系)にまとまり、ドイツ帝国の下でも非常に小規模ながら領邦としての形を保った。
日本語 Wikipediaは、このロイス家・ロイス兄系・ロイス弟系の二つの侯国などに関して大変詳しく記述されているので、是非ご参照ください。今回はその弟系のロイス=ゲーラ侯国(独: Fürstentum Reuß-Gera)の州都であったゲーラ(Gera)についてのご紹介です。