誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(62):★★★グーベン Guben -3-

★★★グーベン Guben -2- からの続きです

さて「Lausitzer Neiße Brücke Guben / Gubin」を渡ってポーランド側に入ります。30年来のペンディングをひとつ解消に行きます(笑)

向こう側の町の名称はポーランド語で Gubinです。そういえばこのあたりもソルブ語地域だと思うのですが(ソルブ語でも Gubin)ドイツ側の標識や看板などは特に二言語表記されていなかったようです。ここから 40km南西方向に位置する Cottbus(コットブス)やドレスデンの近くの Bautzen(バウツェン)などは二言語表記です。まあ、ポーランド語とソルブ語はかなり似ているので混乱するからですかね?

国境に標準的に設置してある速度制限の標識看板。ドイツとは微妙に違いますね。例えば・・・市街地では夜中は 60km出していい(ドイツは一律 50km)、市街地ではない一般道路(片道1車線)では車重によって制限速度が異なる(ドイツでは一律 100km)、ヘッドライトは 24時間点灯することなど・・・

自由に行き来できる国境の、嗜好品に対する課税率が低い方にお約束としてどこにでもある「酒屋・タバコ屋」。RETTENとあるのは前半部分「ZIGA」が壊れて欠落したもので、元は「ZIGARETTEN」(タバコ)という単語だったのでしょう。ガソリンも概してポーランド側の方が安いので、わざわざドイツ側から給油に来ます。

DeepL翻訳させると「ルブスキー自治州クロスノ県グービン自治体」となります。

路面電車の線路跡があります。1920年頃の写真にはそれがしっかり写っています。

独語 Wikipediaから借用した路線図です。この地図を見ると町の中心(旧市街)は川の東側だったことが推測できますね。クリックすると拡大しますが Rynekは Marktの意味のようです。

Von J. R., Guben – Quelle: http://www.zeno.org – Zenodot Verlagsgesellschaft mbH, Copyrighted free use, ソースはこちら

Wikipediaによるとグーベンの路面電車は、ブランデンブルク州の同名の町の北西に建設されたグーベン駅と、現在はポーランドとなっているナイセ橋の東側にある旧市街地を電気路面電車で結んでいた。(中略)1938年 6月 8日に路面電車を廃止し、バスに切り替えることが決定された」とのことで短命に終わったようです。

✙✙ 長くなるので折りたたんでいます。展開するにはこちらをクリック下さい
グーベンの路面電車は、ブランデンブルク州の同名の町の北西に建設されたグーベン駅と、現在はポーランドとなっているナイセ橋の東側にある旧市街地を電気路面電車で結んでいた。

この路線の建設は1903年まで遅れたが、1899年にフランクフルト・アム・マインにあるドイツ電気鉄道公社(Deutsche Gesellschaft für elektrische Unternehmungen)との間で、対応するコンセッション契約が結ばれていた。EAGが計画を再開したのは、W.ラーマイヤー社(Elektrizitäts-AG)と合併してからである。同時に、グーベンに発電所と路面電車の建設を開始した。発電所は1903年12月20日に稼動し、路面電車の試運転は翌年2月16日に始まった。路面電車は1904年2月24日に定期運行を開始した。

路線の長さは2.5キロで、メートルゲージで敷設された。国鉄駅を起点とし、3線式車両基地があったバーンホフ通りをフランクフルター通りまで走った。その後、ナイセ川を渡り、旧市街の狭い通りをルブシュトブリュッケ橋まで走った。迂回路は合計4カ所あったが、当初は6両しかなかったため、終点の2カ所にはなかった。客車は通常1時間に8往復、閑散時間帯には4往復運行された。

1913年、EAGは路面電車事業を切り離し、1928年にグーベン市も50.37パーセントの株式を取得したStraßenbahn Guben GmbHを設立し、市バスサービスを開始した。1914年、EAGは鉄道の延長を求める住民の度重なる要望に応えようとした。しかし、開戦とそれに続く経済危機がこれを阻んだ。1920年、運行は数日間中断されたが、地方裁判所の決定により、永久的な閉鎖は免れた。1923年11月、インフレのため数ヶ月間運行が停止され、1924年6月にベルリン控訴裁判所の決定により再開された。1927年12月15日からは、1928年にシュトラーセンバーン・グーベン社が引き継いだバスが運行されるようになった。バスの運行開始後、路面電車には路線番号1が与えられた。

その後数年間、トラムを利用する乗客はわずかな割合にとどまり、さらに30年以上運行を続けてきたため、費用のかかる改修が必要となった。そのため、1938年6月8日に路面電車を廃止し、バスに切り替えることが決定された。1939年には、18台のバスが市内と郊外の6路線で運行されていた。

★★★グーベン Guben -4- に続きます

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