誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(31):★★トルガウ Torgau -14-

★★トルガウ Torgau -13- からの続きです

さて、そろそろ駅に戻ろうと思います。できるだけ町の違った顔を見たいので、余程でなければ同じ道を往復することはありません。今回も来るときに通ったマルクト広場を避けて、すこし北のルートを歩きます。町の賑やかな一角(・・・それでも静かな部類ですが)を避けて歩くわけで、さほどの見ものはありません。が、逆にリノベーションから取り残された旧東独っぽいものが残っている・・・そういう痕跡探し(Spurensuche)って結構好きなんです(笑)

↓↓ 特になんてことはない居酒屋。Gasthaus Am Mühlentor とありますがネット検索してもさしたる情報にヒットしません。

↓↓ 少し左に視線を移すと、左の道の先に「旧東独そのままの土色の壁の家屋」が2軒見えます。何度か同じことを書きましたが、東西ドイツが統一し、本格的な復興事業が始まるまでは、旧東独の一般家屋は殆どがこの色だったんです。カラフルな旧西独から入国してドライブした際に、最初に受けた衝撃はそのことでした。いまだにそういう色のまま残っている家屋を見つけると思わず写真を撮ってしまうのは、その頃受けた衝撃の所為かとおもってます。画面左上にちょっとだけ写っている街灯も旧東独の標準品でした。まだ現存してるんだ!

↓↓ おや、どこかで聞いたこのある通りの名前が・・・(笑)

↓↓
Marienkirche (Torgau)


右の画像はルター夫人のカタリナ・ルター(旧姓フォン・ボラ)の「エピタフEpitaph)」と呼ばれるものです。エピタフとは「墓碑銘」と訳され「死者の生前の功績をたたえて墓石に刻まれ、古より詩の形式をとっている。」というものです。

独語 Wikipediaによれば「トルガウの聖マリア教会は、墓碑銘や墓があることで有名です。特に注目すべきは、1503年にトルガウで亡くなった、後の選帝侯 Johann des Beständigenの最初の妻であるメクレンブルク家のソフィーSophie von Mecklenburg)のために、精巧な彫刻が施された真鍮製の墓碑で、ニュルンベルクのペーター・ヴィシャー長老(Vischer dem Älteren in Nürnberg)の工房で作られたもので、1504年の日付が入っています。南側の聖歌隊席にあり、故人の紋章が描かれたバロック様式の格子で囲まれています。

しかし、より有名なのは、1552年にトルガウで亡くなったマルティン・ルターの未亡人、カタリーナ・フォン・ボラの比喩的な墓碑でしょう。 彼女はペストから逃れる途中、ここで馬車の事故に遭い、負傷して亡くなりました。墓石は 1617年にヴォルフ・メンヒ(Wolf Mönch)によって修復され、碑文と紋章が付けられました。」

・・・しまったなあ、見逃した(笑)まあ、次回また行く理由が出来たというもので(笑)

Torgau Katharina von Bora Grabmal.jpg
Von Clemensfranz, CC BY-SA 3.0, Link


Rosa-Luxemburg-Platzと Elbstrasseが交差する角にある、ちょっと大きめの建物・・・まあ、一見なんてことはない建物ですが、起源を遡れば 1639年に建てられた射撃場が発祥とのことです。その後、射撃愛好家団体の集会所(Schützenhaus)、となったり、映画館やボーリング場(ドイツ独特の9ピン:kegelbahn)が設置されたり、旧東独時代には「労働者の家(Haus der Werktätigen)」だったり「Jugendklubhaus(FDJという社会主義青年団のクラブハウス)」だったりと紆余曲折を経て、最終的には Kreiskulturhaus(公民館・集会所)がここに入居したようです。

当時の名称は「Kreiskulturhaus – Jugendklub Torgau」となりましたが、トルガウの人々は親しみを込めて「クライシ Kreisi」と呼んだそうです。そして、それは今日まで変わっていないとのことです。東西統一後の今は「Kulturhausは区役所から市に移管され、市の財政を圧迫することになりました。しかし、最終的には Kulturhaus-Immobilien-Verwaltungsgesellschaft mbHがこの家を引き継ぎ、運営者としてTorgau-Kultur e.V.という団体が設立されました。今日、このハウスは文化を最も美しく表現しており、文化を愛する人々の心を躍らせるすべてのものを一箇所に集めています。コンサート、コメディー、ロック&ポップス、茶番劇、朗読会、講演会、人形劇、ディスコ、アイリッシュ・フォークなど、盛りだくさんです。」と公式サイトに書かれています。

↑↑ KULTURHAUSに接してと同じ並びにある建物2軒です。いや、まあ、どうってことない建物ですけど(笑)
↓↓ 下の絵ハガキは 1906年のもので、Rosa-Luxemburg-Platzが「Paradeplatz(パレード広場)」と呼ばれていた時代のものです。Schützenhaus(今の KULTURHAUS)の隣に、当時のこの2軒の建物が写っています。外装は塗り替えられて雰囲気が変わっていますが、窓の位置や、低い建物の換気口などから構造は同じであることが確認できます。

07785-Torgau-1906-Paradeplatz und Schützenhaus-Brück & Sohn Kunstverlag.jpg
By Sohn Kunstverlag Meißen, CC0, Link

↓↓ Rosa-Luxemburg-Platzから Fritz-Reuter-Strasseに抜けると、巨大な建物が目の前に現れ圧倒されます。

建物の名前などが分かりませんが「sonnenstudio torgau gebäude」などのキーワードで Google検索をかけてみると「Markthalle」という名前の建物であることが分かりますが、Wikimediaにもいくつか画像が収録されており「Ehemaliges Militär-Proviant-Magazin, Markthalle Torgau」という説明があります。ははあ、軍隊用の食料備蓄倉庫だった訳か!それにしても圧倒される巨大さです!

右は Wikimediaからの借用ですが、ポータルに刻まれた文字は「Sap. Et Fel. Regnante Fr.Augusto erectum, Anno Chr. MDCCCII」とあります。最初の「Sap. Et Fel.」が分からないのですが、その後は「王 フリードリッヒ・アウグスト 選帝侯 1802年」と推定され、Friedrich August I. (Sachsen) フリードリヒ・アウグスト1世 (ザクセン王)のことと思われます。

1802年といえば、このあとナポレオンが台頭し、ロシア遠征を企てて破竹の勢いで東征することになりますが、フリードリッヒ・アウグストはその過程でナポレオンと組んでザクセン王位やワルシャワ公国の君主の座を獲得します。

が、ナポレオンの敗退と共に苦境に立つなど、歴史の荒波に翻弄されることになります。そんな時代の兵隊用食料備蓄倉庫がと思うと、感慨もひとしおです。なお、この建物は 2018年 9月 13日付の地元紙によれば、紆余曲折あったこの建物は、同市の事業家が最終的に購入して、中でいろいろな事業を展開していくとのことです。

↑↑ マルティン・ルターのレリーフと地下に市壁の防塁がある住宅(ルター・ハウス) フリードリッヒプラッツ11番地。「862年以前(住宅) ヴィッテンベルガー・シュトラーセの角にあるクリンカー・レンガ造りの代表的な建物で、建築的価値があり、堡塁(1531年頃)はトルガウの歴史を語る上で重要な証言となっている。ルターハウスには、1862年に設立されたプロテスタント男子・青年会のクラブルーム、「兵士の家」、放浪する職工たちの宿泊所「故郷への宿」などがありました。」と Wikipediaにあり、現在は人命救助センターが入居しています。また名前の由来は「トルガウのルター・ハウス、宗教改革の作曲家ヨハン・ワルターが1532年から1570年まで住んでいました。 ルターの友人であるワルターは、プロテスタント教会の音楽的典礼の生みの親です。」という記事があります。

下右の放置された建物は「歴史的に重要な建物で、17世紀に作られたオリジナルの物質(梁のある天井を含む)があり、3階建てで、屋根はアーチ型になっています。」とあります。(Liste der Kulturdenkmale in Torgau (M–Z)

↑↑ ちょっと角度は違いますが左手のは同じ建物です。↓↓ 「セントラルホテルは、建築的にも芸術的にも都市的にも重要な建物で、ファサードは精巧にデザインされています。これは、いわゆる幾何学的なアール・ヌーヴォー様式で、1階にはピラスターや三角破風、漆喰の溝などの古典主義的な要素が施された、世紀末以降の建築の代表例です。」Liste der Kulturdenkmale in Torgau (A–L)

19057-Torgau-1915-Friedrich - Platz-Brück & Sohn Kunstverlag.jpg
By Sohn Kunstverlag Meißen, CC0, Link


↑↑ ↓↓ 「ドイツ・ルネッサンス様式とゴシック様式のコーナータワー、リザリット、テールゲーブル、オリエル風のポーチ、豊かなファサード装飾を持つ、トルガウのグレーシス開発の代表的で都市的に傑出した建物で、かつての守備隊の町で最も印象的な歴史主義の建物であり、建築史と地域開発の観点から重要なものです。」Liste der Kulturdenkmale in Torgau (A–L)

01794-Torgau-1901-Ringstraße (Westring)-Brück & Sohn Kunstverlag.jpg
By Sohn Kunstverlag Meißen, Public Domain Dedication”>CC0, Link

いかがでしたか?帰りに通ったルートは、観光ガイドブック的には聖マリア教会くらいで、他は殆ど見ものらしいものはないのですが、爆撃・砲撃での破壊を免れたということで、三十年戦争やそれ以前からの建物、ザクセン王国時代の食糧庫、旧東独の痕跡などが、不自然・不連続な時間の断層無くならんでいるのです。Wipipediaの建物リストも非常に役に立ちます。まあ、事前に調べてから行くのがいいんでしょうが、これがまたなかなか面倒で(笑)あ、そんなのあったのか!と後で気が付いて再訪する・・・そんなものかもしれませんね。

★★トルガウ Torgau -15-に続きます

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