誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(31):★★トルガウ Torgau -15-

★★トルガウ Torgau -14- からの続きです

以上、14回にわたってザクセン州北部のトルガウ Torgauをご紹介してきました。書き始めた時には、米ソ両軍が出会った場所ということと、お城とカタリナ・ボラの死没地という他には特段の観光スポットも無さそうなので数回で終わるつもりだったのですが・・・駅の建て替えの記事に遭遇して深入りしたり、Wikipediaにアップされている建物リストから「ルネサンス期の建物の名残り」を探したり、何よりハルテンフェルス城が分裂したザクセン・ヴェッティン家弟系の選帝侯の居城だったことに気が付いたり・・・ということでスイッチが入ってしまいました(笑)最後に纏めと、YouTubeからいくつか動画を拾っておきます。

右にあるトルガウ市の紋章(Wappen)は、1463年にこの町で生まれたフリードリッヒ三世(賢公)Friedrich IIIが授けたものなのですが、彼こそはあのルターをヴァルトブルク城に匿い庇護した人物なのです。

少しだけ歴史に触れておくと、ザクセン公国はアスカニア家が支配していましたが、1296年にザクセン・ラウエンブルクとザクセン・ヴィッテンベルクに分割されます。後者は 1356年の金印勅書によって選帝侯の地位を獲得します。

その後、1422年にアスカニア Askanier家系の男系相続者が絶えると、神聖ローマ皇帝は翌 1423年からこの領土と選帝侯のポジションをヴェッティン Wettin家のマイセン辺境伯フリードリッヒ好戦公(Markgrafen Friedrich der Streitbar)に引き継がせます。この時から、マイセン辺境伯領とザクセン・ヴィッテンベルク領は合体して選帝侯ヴェッティン家が支配することになります。カトリックの世俗的権威の体現者としての神聖ローマ皇帝を選ぶ「選帝侯」なので、この時点では当然カトリックを信仰しています。

宗教改革を主導したルターの誕生は 1483年、贖宥状販売などで堕落したカトリックに95箇条の論題を突き付けたのが 1517年と、約百年後のことです。この間、ヴェッティン家は兄弟喧嘩をして 1485年に「ライプツィヒの分割」を行い、兄アルベルトは黄色の地域(中心はマイセン)、弟のエルネストは赤の地域&選帝侯の地位を引き継ぎます。

後にルターを庇護することになるフリードリッヒ賢公はこの弟エルネストの長男、1463年生まれなので分割時には 22歳、分割の翌年 1486年に父親 エルネストが死去すると、その後を継いでエルネスト系ヴェッティン家の当主と選帝侯の地位を継承します。

分割前のヴェッティン家の居城であったマイセンのアルブレヒト城は兄系アルベルトの方に所属するので、新たに生誕地トルガウのハルテンフェルス城をメインの居城として構えたのです。これまで、この辺りの歴史を調べた際に、ヴァルトブルク城やヴィッテンベルク城の話は出てきても、トルガウという地名やハルテンフェルス城の名前は出てきた記憶が無かったので、フリードリッヒ賢公はヴィッテンベルク城を居城としてたと勘違いしていました。ヴィッテンベルクの記述もそういう書き方だし・・・いやあ、今回独語 Wikipediaをちゃんと読んでよかった(笑)歴史のジグソーパズルの数ピースが嵌った感じです(笑) 

そして、二つに分裂した弟系は、ルターを庇護したことからも明らかなように「選帝侯でありながら」プロテスタント系諸侯の領袖となり、シュマルカルデン戦争で神聖ローマ皇帝と戦って、ヴィッテンベルクの降伏をして敗れます。結果、メインの居城があったトルガウを含め多くの領地と選帝侯の地位も、皇帝側についた兄系に割譲することになり、その後はテューリンゲンあたりの領地を子孫が分割相続を繰り返して力を失っていくのです。

しか~し!かつてのレジデンツシュタット(君主の居館があった町)ならば、もうちょっと栄えていてもいいんじゃないでしょうか?お祭りをやってなかったら死んだように静かな町って・・・ちょっと哀しいものがあります。今回は天気がどんより曇った寒い日だったので、写真も暗いイメージですが、晴れたら明るい町なのかもしれませんが・・・それにしても「ルネサンスの町」として売り出すならもうちょっとやり様があるのではないか?2022年 4月には「庭園博」が開催される予定なので、それを機にもう一皮むけてくれればと期待しています。ボランティアでアドバイザーやってやろうか(笑)

↓↓ 晴れた日のお城と街歩きの動画です。やはりかなり印象は違いますね

↓↓ 少しドイツ語のヒアリングが出来る方には是非!聴きやすいドイツ語でよく纏まった説明があります。トルガウが何故発展から取り残されたのか?ここがレジデンツシュタットだった期間はそれほど長くなかったこともありますが、19世紀になってからの産業革命・工業化の波がここまでは及んでこなかったこと・・・なるほど。

↓↓ 米軍とソ連赤軍が出会ったときの動画で、珍しくカラーです

↓↓ 米軍とソ連赤軍が出会うまでの戦況をやや詳しく解説しています

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(31)★★トルガウ Torgauの項を終わります
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