誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(35):★シュヴェリーン Schwerin -2-

★シュヴェリーン Schwerin -1- からの続きです

メクレンブルク=フォアポメルン州はかつてのメクレンブルク大公国とフォアポメルンが合体して州として纏まった訳ですが、そのうち下右の地図で黄色線で囲まれたポメルンは、第二次大戦の戦後処理で東半分がポーランド領となり、残りの部分(地図のピンクの部分)が旧東独側に残りました。地名の由来を調べてもスラブ言語由来のものが多く、歴史的にスラブ系がルーツの州といえます。ただ長い歴史の中で「ドイツに同化(eingedeutscht)」されており、今日スラブルーツだからどうこうという話は全くありません。

地名に残るスラブ系言語の影響については下記をご参照ください。
地名の研究 Ortsnamenanalyse (6) 北東型・スラブ型
地名の研究 Ortsnamenanalyse (1) ドイツに多い地名の分布を定量化する試み

Karte-Mecklenburg.png
de:Benutzer:Störfix – selbst gezeichnet,パブリック・ドメイン, リンクによる

地域としてのメクレンブルクは「メクレンブルク(Mecklenburg, ドイツ語発音: [ˈmeːklənbʊʁk, ˈmɛklənbʊʁk][1]低地ドイツ語Mękelborg)は、ドイツ北部の歴史的な地域で、連邦州であるメクレンブルク=フォアポンメルン州の西部の大部分を占めている。この地域における主要な都市はロストックシュヴェリーンノイブランデンブルクヴィスマール、ギュストローなどがある。(大野註:この辺の町は全部行ったことありますね(笑))

メクレンブルクという名前は、シュヴェリーンとヴィスマールの間に位置する「メクレンブルク城 (Mikilenburg)」(古ザクセン語で 「大きな城」、これを近代ラテン語またはギリシャ語に逐語訳したものが「メガロポリス (Megalopolis)」である)に由来している。スラヴ諸語でも同じく「大きな城」を意味する「ヴェリグラード (Veligrad)」の名で知られる。この城は、家系がメクレンブルク=シュヴェリーンメクレンブルク=シュトレーリッツに二分されるまで、メクレンブルク家に代々受け継がれてきた。

メクレンブルクでは、低地ドイツ語の語彙および音韻の特徴が多く受け継がれている。」とあります(日本語版 Wikipedia)

このメクレンブルクを統治したメクレンブルク家(Haus Mecklenburg)については Wikipediaに「「メクレンブルク家Haus Mecklenburg)は、ドイツ北東部、メクレンブルク地方の統治者の家系。スラヴ人の部族国家オボトリート族の首長の家系に起源を持ち、オボトリート家Obodriten)とも呼ばれる。メクレンブルク家は、ポンメルン公国の統治者家門であるグライフェン家、ポーランド王家から枝分かれしたシレジア・ピャスト家を除けば、神聖ローマ帝国において唯一、スラヴ人の王を先祖に持つ諸侯の家系であり、ポメラニアにおけるその支配は1131年から1918年まで連綿と途切れることなく続いた。一族の男子はメクレンブルク公爵の称号を有し、1815年以後は家長がメクレンブルク大公を称した。1918年に君主が退位したのち、21世紀の現在でもメクレンブルク家は存続している。」とあります。

紋章に関する説明では「メクレンブルクの伝統的なシンボルは、皮のある、王冠を被ってにやりとしている雄の子牛の頭 (低地ドイツ語: Ossenkopp (“osse” は中央低地ドイツ語で「子牛」または「牛」。「牛の頭」の意) だが、起源はキリスト教化される以前の時代までさかのぼると言われている。このシンボルは、当時の人々が何を身にまとっていたかを表している。すなわち、雄の子牛の頭を帽子としてかぶり、日光から首を守るために背中へと皮をかけ、その姿全体でもって敵に恐怖心を与えていた。」とあります。まあ、今となってはコワいというより、ちょっとユーモラスな印象ですけどね(笑)

細かい経緯は省略しますが、日本語 Wikinipediaに「多くのドイツ諸邦の例に漏れず、メクレンブルクでも何度か同族間で所領のやり取りが行われた。1621年には、メクレンブルク=シュヴェリーン公国とメクレンブルク=ギュストロー公国の二つに分割された。1701年にギュストロー系が絶えるとその所領は再分割され、メクレンブルク=シュヴェリーン公国と新たな家系を据えたメクレンブルク=シュトレーリッツ公国になった。」とあり、シュヴェリーンはメクレンブルク=シュヴェリーン公国(Das (Teil-)Herzogtum Mecklenburg-Schwerin)の居城があった場所ということです。

ここは、細かく書き始めるとキリが無いので一旦この辺りで止めておきます・・・また気が向いたら深掘りするかも(笑)

↓↓これらは Wikipediaから借用した「ノイシュトレーリッツ(Neustrelitz)にあったメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の居城(Schloss Neustrelitz)」ですが、1945年 4月 29日から 30日にかけて戦火で焼け落ち、その後撤去されました。残念ですね~・・・

Neustrelitzer Residenzschloss Postkarte koloriert um 1920.jpg
Von J. Haase, R. Lippert, diverse – Residenzschlossverein Neustrelitz e. V.(approved), Gemeinfrei, Link

★シュヴェリーン Schwerin -3-に続きます

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