誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(61):★★★ロェーバウ Löbau -4-

★★★ロェーバウ Löbau -3- からの続きです

町の入り口で興味深い建物に深入りしたので前置きが長くなってしまいましたが、ここから旧市街の中心の方向に歩き出します。

赤い逆三角形と「Den Toten zur Ehre, den Lebenden zur Pflicht(死者に名誉、生者に義務を・・・みたいな意味)」の碑文は VVN – BdA(Vereinigung der Verfolgten des Naziregimes – Bund der Antifaschistinnen und Antifaschisten:ナチスによる被迫害者協会 

– 反ファシスト同盟)による慰霊碑で、旧東独の至る所に見ることができます。

これは旧東独主体の組織で、ソ連の支配下にあった旧東独政府が主導していた団体だとばかり思いこんでいました。ところが今回 VNN(あるいは VNN-BdA)を独語 Wikipediaで調べてみると実はそうではなくむしろ西独が主体だったと知りちょっと驚いています。多分 Antifaschistisch(反ファシズム的)という旧東独で多用された単語にミスリードされたんだな(自分)・・・

また、この手の慰霊碑(旧東独用語では Mahnmalと呼ばれる)は旧東独の至る所に見られる・・・というか、自分が歩き回っているのは殆ど旧東独の小都市で、真面目に歩けば西独にもあるんでしょうね。んんん、もうちょっと深入りしたいのはやまやまなんですが、先に行きます(笑)

Wettiner Platzという、ザクセン王家の名前を冠した広場ですが、人口 14,000人くらいの小都市には不釣り合いにさえ感じる立派な建物が連なっています。オーバーラウジッツ六都市同盟にも属していたという、かつては有力な町だったものが、今日の行政区分では多くの機能をゲルリッツやバウツェンに移されて(奪われて)没落途上にある・・・そんな印象を持ってしまいます。

Wikipediaで人口推移を調べてみると、人口はベルリンの壁崩壊の前年 1988年をピークにその後は減少に転じています。しかしそのピークでも 20,000人を超えたことはありません。このあたりの建物が建てられたと思しき「Gründerzeit(19世紀末)ではまだ 10,000にも達していません。なんだか建物のサイズや立派さと人口のバランスがイマイチしっくりこない感じです。しかし・・・人を見かけません。

そして(多分、東西統一後に補修の施されたと思しき)そういう立派な建物群の間に、こういう廃墟や廃屋が放置されたままになっています。2022年・・・東西ドイツ統一から 32年経ってもこういう感じです。下の「自転車屋・バイク屋」は、廃業はしたけれど人は住んでいる感じですね・・・

Schleifarbeiten & Schirmreparatuten …研磨加工と傘の修理…職人さんの店のようですが廃業したっぽいです。下の緑の建物には「1901」という年号が見えます。

この建物はこちら(Liste der Kulturdenkmale in Löbau (J–Z))の Nicolaiplatz 1 (Altstadt)に Wohn- und Geschäftshaus (Pelzhaus)としてリストされています。毛皮商だったんですね。その昔の栄えていた時代には・・・「ユーゲントシュティル様式のファサードを持つ代表的な建物で、建築史、都市開発、街並みにおいて重要な意味を持つ」とあります。

・・・それにつけても、このリストにはこの町のほぼすべての建物についての情報があり、またこの手のリスト群(Liste der Kulturdenkmale in XXXX)はドイツのほぼすべての町について網羅しています。このあたりの網羅作業がいかにもドイツ的と思う次第です。

★★★ロェーバウ Löbau -5- に続きます

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