誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(35):★シュヴェリーン Schwerin -1-

メクレンブルク=フォアポンメルン州(Mecklenburg-Vorpommern)の州都であるシュヴェリーン(Schwerin)をご紹介します。東西ドイツが統一され、旧東独の行政単位が再編されて新しく6つの州(Neue Bundesländer)が誕生し、その一番北に位置するのがメクレンブルク=フォアポンメルン州ですが、その州都のポジションを、人口が二倍ある港湾都市・工業都市・旧ハンザ同盟都市のロストック(Rostock)と競って獲得したことを憶えています。やはりかつてのメクレンブルク大公国の居城(シュヴェリーン城)があることが決め手となったのでしょうか・・・このお城の中には州議会の議場も設置されています。この町には(も)何度か来ているのですが、今回は 2018年 5月に訪問した時の写真を中心にご紹介します。
Schweriner Schloss von der Seeseite 2009.jpg
Von JøMa – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link
非知名度のレーティングは悩ましいところです。以前ご紹介したザクセン=アンハルト州の州都マクデブルクは「マクデブルクの半球」の実験で中学校の理科の時間に習った記憶のある人も多く、州都でもあることに敬意を表して(笑)★はゼロとしました。シュヴェリーンは・・・どうしようかなあ(笑)★2つくらいかなと思いますが、やはり州都に敬意を表して★ひとつにしておきます。このレーティング方法も見直さないといけないですね(笑)

Wappen Lage Data

私としては「シュヴェリーン」という地名は東西ドイツが統一する前からずっと気になっていました。最初の駐在で住んだハンブルクから西ベルリンに行く際、鉄道で行く場合は、列車は東独領土上では国境駅での検問停車を除いて一切停車せず疾走するので関係ないのですが、クルマで行く場合にはアウトバーン 24号線を走り、途中にある分岐点を北上するとシュヴェリーンに通じていました。もちろん、当時はハンブルクから西独領である西ベルリンには国境で通過ビザを貰えば比較的簡単に行くことができましたが、旧東独領を自由にドライブすることは不可能で、シュヴェリーンにも行くことはできませんでした。分岐点の道路看板に表示された「Schwerin」の文字を見て「行ってみたいなあ~」と好奇心が疼いたものです(笑)

この、アウトバーンの分岐点のことを東独では「Abzweig(Abzw.と略される)」(枝分かれ)と呼んでいました。統一後は西独の用語で「Dreieck」(三角・三叉路)と変更されました。因みに十字クロスは東西とも「(Autobahn)Kreuz」と呼んでいたと思います。

旧東独時代の表記は Abzw.Schwein となっています。Abzweig(枝分かれ)の略です

統一後は Dreieck Schwerinとなっています。黄色の一般道もアウトバーンの上を跨ぐように整備されたと見えます

そんな積年の憧れもあり、1990年 4月、西独に住む我々外国人も国境でビザを取得して、当時はまだ存在していた「ドイツ民主共和国(旧東独) Deutsche Demokratische Republik」を自由にドライブ出来るようになった時に、訪問ターゲットのひとつになったのがこの町だったのです。

その時の旅行記がありますので是非お読みください。今から30年以上前、東西の壁が崩壊した翌年 1990年 4月の記録です。まだ本格的な復興。修復が始まる前で、かなり衝撃的な写真や動画があります。
三十年前のドイツ(46):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ -1-
三十年前のドイツ(47):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ -2-
三十年前のドイツ(48):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ -3-
三十年前のドイツ(49):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ -4-
三十年前のドイツ(50):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ -5-
三十年前のドイツ(51):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ -6-

★シュヴェリーン Schwerin -2-に続きます

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