三十年前のドイツ(49):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー4-

三十年前のドイツ(48):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー3-からの続きです。

さて引き続き Schwerinの街の中を歩きます。歩行者天国となっているメインのメクレンブルク通り(Mecklenburgstr.)は、地元の人々と西からの観光客で結構賑わっています。が、一本裏通りに入るとちょっと様相が違いました。

そのまえに、今朝通って来た Boizenburgの記述に「町の中は...ボロボロだった。壁を補修していないのであちこち漆喰が剥がれてそのままになっている。モルタルの上のペンキを塗り直していないのか、そもそもそういう色なのか、壁がどす黒い。木製の窓枠のペンキを塗り直していないので腐りかけている。道路はアスファルト舗装せず、石畳なのはいいのだが、平坦ではない。」と書きました。また「シュヴェリンの町中もまだまだボロボロだった。」好き好んでボロボロにしたわけではないので、あまり書くのも気が引ける面はあるのですが・・・なかなかイメージし難いかと思いますので、他の町の事例ですが画像をアップしておきます。画像はクリックすると拡大します。

さて下の動画は、メインのメクレンブルク通り(Mecklenburgstr.)の一本東側のビショフ通り Bischofstraßeです。行列が出来ていますが、なにかのお役所のようなものの扉に行きつきます。扉の右手にある看板・・・カップルの間に子供がいるデザインから「東独の保険機構」のようです。社会主義体制で失業保険があったのかどうかは定かではありませんが、何かの給付金を貰うか申請する為に並んでいるものと思われます。

このロゴデザインはアウトバーンA24号線でベルリンに向かう時に頭上を横切る道路橋・歩道橋に掲示されてので見覚えがありました。

しかし、このロゴデザイン・・・もっと昔に見た遠い記憶があるぞ!・・・と、記憶を辿ってみたら・・・小学校の頃、約60年前に外国の切手を集めていて、そのなかにこれが有ったような。で、ググってみたら切手ではなく社会保険料の払込印紙だったんですね。これが何百枚いくらで買った外国切手の山に紛れ込んでいたようです。

さてこの動画、行列の後のシーンは衝撃的です。

保険機構の行列のあと、目に入ったのは廃墟化した建物です。戦争で爆撃・砲撃を受けたならともかく、経済運営の行き詰まりで補修に資金や人材を回すことができず、立派だったであろう建物がこういう状態になってしまう・・・西側では流石に滅多に見かけない光景だったので大きな衝撃を受けたものです。

永らく補修をしないで放置すると、屋根が抜け落ち、木製の窓枠が腐り、外壁のモルタルが落ちてそこから中の煉瓦に水が浸み込んでいき冬に凍結して建物を傷めます。ドイツによくある木組みの家(ファッハヴェアクハウス Fachwerkhaus)は木部に防水・防腐加工をしておかないとそこから傷み始め、ついには崩壊に至ります。

右の家はちゃんと補修がされています。左の家は使われていないようですが・・・このまま放置するとヤバいです(2016年 Neustadt-Gleveにて)

動画の最後は KONSUM系列のレストランのようです。なぜか「CASINO」のランタンがありますが意味不明です。店内の色褪せた写真とメニューが映ります。残念ながら料理の値段などは読み取れません。

営業日・時間がまた意味不明です。月曜日・火曜日と土曜日の営業で、10:00~15:00・・・ランチだけの営業ということでしょうか?それにしても、月・火・土って何故?

まあでも、その後もっとすごいのも見つけました。これは ZEKIWA(Zeitzer Kinderwagenindustrie)という東独の有名な乳母車メーカーのショップですが、火曜と木曜の 15:00~18:00だけ営業しているとのこと!なんと週に6時間しか営業しない!これじゃ西の製品とは競争にならんワな~とおもっていたら、ZEKIWAブランドは生き残っていました。

2023.2.13追記:YouTubeでほぼ同時期に撮られたビデオを見つけました。雰囲気もまさしくこういう感じでしたのでここに引用しておきます。

三十年前のドイツ(50):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー5-に続きます。

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