誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(1):★★ ゲルリッツ Görlitz ー追記4ー

★ ゲルリッツ Görlitz -追記3-からの続きです

この町には過去に何度も訪れているので、今回はザクセン州の隅っこにある町を訪問する拠点として泊まるだけです。前から気になっていたホテルに宿をとりましたが、その他は写真を並べておきます。その前に、私にとっては「ゲルリッツ復興のシンボル」的な写真をご紹介します。

上の写真は 1991年 5月の初訪問時、東西ドイツ統一後まだ半年あまりに時点で本格的な復興はまた始まっていませんでした。下のは今回 2022年 5月、それから 31年後の様子です。マリエンプラッツのほぼ同じ場所から同じアングルで撮ったものですが、画面左手の店は所謂「洋品店」、旧東独では「MODE」という言葉が使われるアパレルを扱う店です。(現在の公式ページはこちら)それは今も(多分同じ経営者ファミリーで)存在しています。

上の写真の右側の建物には、旧東独の翼賛政党(独語では Blockpartei)の LDP(或いは LDPD)の事務所が入っていたようです。

そして左手に少しだけ見えているのが、あの「Dicker Turm 太っちょ塔」です。今は白く塗られていますが、1991年当時は MODEHAUSと同じく煤けた色で、殆どそれと確認できないくらいの沈んだ色でした。まったくこれが同じ場所とは信じられないくらいです。

この話も自分としてはお気に入りで、2016年の記事にも同じことを書いています(笑)

予約していたのはオーバーマルクトにある「HOTEL ITALIA」・・・何故イタリア?実はこのホテルのオーナーがイタリア人だということです。レセプションには息子のマルコという明るい若者がいます。

この日は満杯とかで、この建物ではなく、すぐ近くの別館に案内されました。

この日、2022年 5月 26日の金曜日は、前日の 26日が Himmelfarhrt(キリスト被昇天)の休日を利用しての4連休で観光客が大量に来ていてレストランはどこも予約で満杯でした。この時既にヨーロッパではコロナの規制は緩和されており、英国では完全にマスク無し、ドイツでも故郷交通機関の車内など一部を除いてはマスク無しで、通常の日常が復活していました。(日本では 2023年 3月になって漸く「マスク着用は本人の自由」という曖昧な政府声明がでます)。

特にゲルリッツはポーランド国境の町なので、シュレジエン地方への観光の拠点として年配の団体客が多かったようです。ちなみにホテルのオーナーの奥さんはポーランド出身で、ホテルをでてすぐ左手の Brüderstraßeで “Schlesische Oase”というシュレジエン料理店を経営しているそうで、マルコに予約を頼んでみましたが、この日ばかりは満席で無理でした。

仕方が無いので暫く町を歩いて時間をつぶした後、ようやく席の空いた庶民的なレストランで落ち着きます。料理名やどこの地域料理家などは忘れましたが、ポーランド人のオネーさんが感じよかったです(笑) ちょっと吞み足りなかったので、ホテルの部屋で、今日オストリッツの肉屋で買ったソーセージをつまみにもう一杯(笑)

★ ゲルリッツ Görlitz -追記5-に続きます

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