- 2020-1-21
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ザクセン州のゲルリッツをご紹介してきましたが、実はこの町には約30年前、東西ドイツの壁が崩壊しドイツが再統一を果たしてまだ間もないころに一度訪問したことがあるのです。
1991年 5月のゲルリッツ駅の構内です。
2018年 10月の駅の構内はこちら。
1991年にはまだ営業していたホテル↑↑ ↓↓2018年には残念なことに・・・
1991年の Berliner Strasse↑↑ ↓↓2018年はこんな感じ・・・
通りの名前は不明ですが駅の近く↑↑ ↓↓概ね同じような場所と思われます
これが一番衝撃的かもしれません。↑↑ MODEHAUSとありますが衣料品店です。その右は LDPという政党の事務所のようです。ここは Dicker Turm(太っちょ塔)がある Marienplatzという一等地ですが、1991年はこんな感じだったのです。暗くて見づらいですが、写真の左手に縦に写っているのが Dicker Turmです。
↓↓ こちらは2012年に撮ったものですが俄かに同じ場所の同じ建物とはわからないくらい綺麗にリノベーションされています。隣接する二つの建物の構造や窓の位置を比べると同じ位置ということが納得できます。Dicker Turmは綺麗に白く塗られています。MODEHAUSは SCHWIND’S ERBENという名前で繁盛しているようです。
↑↑ 1991年当時はまだポーランドとドイツ(統一後)に間に国境検問や税関検査があった時代です。ポーランド人のローマ法王の名前を冠した Papst-Johannes-Paul-II.-Brückeですが、単に Stadtbrückeとも呼ばれます。
↓↓ 今は検問施設は跡形もありません。もはや同じ場所かどうかも分かりませんが、1991年の写真の右端に木の枝越しに尖塔が見えており、それが下の写真の道路の先の方右手の尖塔に一致しています。1991年には川べりまで行って写真を撮った記憶があります。
こういう感じでパスポートチェックと荷物検査が行われていたのです。ポーランドが EUに加盟した 2004年には税関検査が撤廃され、更にシェンゲン協定に加盟した 2007年 12月からパスポート検査も撤廃され、こういう施設も撤去されました。