誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(46):★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -6-

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -5- からの続きです

お城の中に入ってみます。ここに居を構えたヴァルデック家(Haus Waldeck)とはどんな家系なのでしょうか?調べてみると「へぇ、そうだったの!」とちょっと意外な事実が分かります。

まず、ヴァルデック侯国(Waldeck)に関しては日本語 Wikipediaに次のような記述があります。

ヴァルデック侯国の版図。南がヴァルデック、北がピルモント

「ヴァルデック侯国は、ドイツ中部にあった領邦の一つである。首都ははじめヴァルデック、17世紀半ば以後はアーロルゼン(ともに現在はヘッセン州ヴァルデック=フランケンベルク郡に属する)に置かれた。

「ヴァルデック=ピルモント侯国」という名が示す通り、ヴァルデックやアーロルゼンを含む本土のほか、北方のハーメルン付近に飛地のピルモント(現在はニーダーザクセン州ハーメルン=ピルモント郡に属する)を有していた。ピルモントはもともと別の伯爵領で、17世紀に当時のヴァルデック伯領に加わった土地である(後述)。

ドイツ帝国時代、ヴァルデック侯国の領土はプロイセン王国に囲まれており、ヴァルデックはプロイセン領ヘッセン=ナッサウ州ヴェストファーレン州の州境に位置していた。ピルモントはヴェストファーレン州内に飛び地の形で存在していた。

なお、ヴァルデック領内にはヘッセン大公国領の2つの飛び地があった(参照:ウィキペディアドイツ語による1815-1866年のヘッセン大公国版図)。

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そしてここに君臨したヴァルデック家(Haus Waldeck)に関しては独語 Wikipediaに詳しい解説があります。が、例によって分家・相続・分割・統合・・・などを繰り返しておりとても解説できるようなものではありません。ただ、現在の欧州のロイヤルファミリーに繋がる重要な女性を輩出したというのはハイライトでしょう。

ひとつは「ヴァルデック=ヴィルドゥンゲン家のシャルロット・ヨハンナ(1664-1699)は、ザクセン=ザールフェルト公ヨハン・エルンストと結婚し、ザクセン=コーブルク&ゴータ家の始祖となった。」ということです。

「Charlotte Johanna of Waldeck-Wildungen, * 1664年12月13日 in Arolsen, † 1699年2月1日 in Hildburghausen)は、ドイツの貴族の女性である。19世紀にイギリス、ベルギー、ポルトガル、ブルガリアの王位に就いたザクセン・コーブルク・ゴータ家の祖先として、彼女は回顧的に特別な王朝的意味を持つ。

「シャルロット・ヨハンナは、ヴァルデック=ヴィルトゥンゲン伯ヨシアス 2世とその妻、ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯ヴィルヘルミン・クリスティーネの娘で、幼児期を過ごした唯一の子供である。このように、彼女はヴァルデック家の血を引いていたのである。

1690年 12月 2日、マーストリヒトでザクセン=ゴータ公エルンスト 1世の息子であるザクセン=ザールフェルト公ヨハン・エルンストと結婚した。彼女は彼の 2番目の妻だった。二人の間には 8人の子供ができたた。息子のフランツ・ヨシアスを通じ、ベルギー国王レオポルド 1世の高祖母、英国女王ヴィクトリアの高祖母となった。

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Charlotta Johanna von Waldeck, Stich von Johann Alexander Böner (1698)

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -7- に続きます

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