- 2020-11-25
- ブログ
誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(14):★★ゴータ Gotha -4- からの続きです。
降雪で旧市街を歩くのは断念してホテルに戻ります。以前にも来たことはあるのですが、写真が残っていません。初回訪問時はまだフィルムカメラだったので、今のようにスマホカメラで気軽に何でも撮っておこうという環境ではなかったんですね。復興途上の街をもっとフィルムカメラで撮っておけば・・・と今になって悔やまれます。ということで。今回は Wikipediaや YouTubeから画像・動画を拝借して構成します。
地図の上では、お城「Schloss Friedenstein」とその南の「Schlosspark」、東の「Ogangerie」、そして北に淡い黄色で色付けされている「旧市街 Altstadt」あたりに見どころが纏まっているようです。旧市街で目立つ建物は、お城からの坂道を下ったところにある、赤い「市庁舎 Rathaus」と「Margarethenkirche」、あるいは「Brühl」という通りあたりでしょうか。こちらには、主要な建築物のリストがあります。
YouTubeでいろいろ探してみましたが、まずは5分程度で網羅的にいろいろ映っているものです。下のはアマチュアの撮影と思われますが、27分あり、
ゴータといえば、レジデンツシュタット(公爵・侯爵の居城がある場所)としての側面だけではなく、もう一つ、ドイツの社会主義運動・労働運動史の流れで、今のドイツの二大政党のうち、中道左派的な「ドイツ社会民主党
Sozialdemokratische Partei Deutschlands(SPD) )のルーツとなる政党が、1875年にこのゴータで結成されたのです。
この時、党の理念などを纏めた「ゴータ綱領(Gothaer Programm)」が起草されますが、カール・マルクスやフリードリッヒ・エンゲルスらによって「ちょっと軟弱なラサール君の影響を受けすぎてるんじゃないの?」と批判され、それは「ゴータ綱領批判」と呼ばれています。その後 1890年にはハレ(Halle)で開かれた党大会で「ドイツ社会民主党 SPD」と党名を変更し、翌 1891年にエルフルト(Erhurt)で開催された党大会で、よりマルクスの思想を反映した(ラサールの影響を払拭した)「エルフルト綱領(Erfurter Programm)」が採択されます。しかしこれもまたエンゲルスに「半分は日和見主義じゃんか!」と批判され、これを「エルフルト綱領批判」と呼びます。
まあ、誤解を承知でザックリ申せば「現実的に選挙で合法的に議席を増やして政権を獲得しようよ」という穏健派と、「労働者が革命を起こすのにそんなに軟弱なことではあかんやろ!」という急進派・・・前者は後者を「過激派・教条的」と呼び、後者は前者を「日和見主義」と批判するみたいな構図ですかね。
このドイツ社会民主党の成立の歴史や初期の経緯などは、右か左か?といったイデオロギーの話ではなく、ドイツやヨーロッパの近代史がいかに今に繋がっているかということを知る上で非常に興味深いものです。また戦後、1969年~1974年まで西ドイツの首相を務めた SPDのヴィリー・ブラントの数奇な運命も、SPDの歴史と並んで非常に興味深いものがあります。こういう、欧州の社会主義運動とその現在の姿を読んだうえで、日本ではかつて SPDの友党だった社会党の後継としての社民党が消滅寸前である状況を対比すると、あまりも残念な思いがします。
しかし、あの当時「ゴータ綱領」「ハレの党大会」「エルフルト綱領」、そして少し時代が下って「ワイマール共和政」など、左派活動はいずれもテューリンゲン地方の諸都市が舞台となっています。何故ベルリンやミュンヘンやハンブルクなど、もっと大都市ではなかったのか?このあたりの事情についても調べてみたいと思っています。いずれにせよ、このゴータは今の「ドイツ社会民主党 SPD」のルーツであるわけで、なにかモニュメントとか「聖地」みたいになっているとか・・・そんなことを期待したのですが、特に何も無いようです。(笑)
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