- 2021-1-14
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またテューリンゲンに戻り、ミュールハウゼン Mühlhausenをご紹介します。Mühlhausenとは「水車小屋(のある地)」という意味で、まあどこにでもありそうな地名です。実際、他にも Stuttgartと Augsburgの近所にもあり、またアルザスの Mulhouse(ミュルーズ)もドイツ名は Mülhausenです。それと区別するために 1991年に市議会で Mühlhausen/Thüringenを正式名称とすることに決定しました。まあ「武蔵小金井」とか「摂津本山」みたいなもんでしょう(笑)。
バッハが居たことがあり、また旧東独では聖人的扱いの「トマス・ミュンツァー Thomas Müntzer」が活動の拠点としたことで、1975年~1991年までは Mühlhausen Thomas-Müntzer-Stadtという称号付きの町だったこともあるので、非知名度は★★としておきます。
Wappen | Lage | Data |
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右の画像は旧東独の 5マルク紙幣で、入国時に強制両替(Zwangsumtausch)といって、西独の 25DMを「等価で」東独の 25Mに交換する際に、ゲーテが描かれた 20Mと共に渡されるものです。25DM(西マルク)は当時のレートで円換算すると 2,500円くらいとなり「まあ、テーマパークの入場料と思えばこんなもんかな」と割り切っていました。しかし実際には東ベルリンでこの 25東マルクを使い切るのはかなり大変=物価が安くて使いきれないというのが実態でした。
ここで本題は、その 5マルク紙幣に描かれているのが「トマス・ミュンツァー Thomas Müntzer」という人物だということです。まあ数人しか選ばれない紙幣の肖像画ですから、聖人的ポジションと言えるでしょう。ちなみに 100M紙幣の肖像はカール・マルクスです。(旧東独紙幣の全貌はこちら)
トマス・ミュンツァー(Thomas Müntzer 1489-1525)は、マルティン・ルター(1483-1546)とほぼ同時代の人で、ルターに共鳴し宗教改革運動に加わりますが、(ミュンツァーと比較して)穏健・保守的なルターとは袂を分かち、封建領主の収奪に怒りを募らせていた農民の一揆に加勢し「ドイツ農民戦争」を主導することになります。世界史の窓によれば「1524年夏、南ドイツから始まり、ほぼ全ドイツに波及した大農民反乱。指導者のトマス=ミュンツァーは、南ザクセンの教会説教師で、ルターの宗教改革を支持し、自らも教会の腐敗を批判していた。教会批判にとどまらず、封建領主による収奪が強まって苦しんでいる農民の救済をめざし、農奴制の廃止、封建地代の軽減、裁判の公正など、「農民の12箇条」をかかげ、領主や教会など封建諸侯と戦った。おりから封建諸侯は、カール5世のフランス王フランソワ1世との戦争でイタリアに出征していたので、農民軍は至る所で勝利したが、翌年諸侯軍がドイツに戻り反撃に転じることによって鎮圧された。諸侯による懲罰は過酷をきわめ、約十万の農民が命を亡くしたという。」という記述があります。
この「封建領主の収奪に対する農民の戦い」というのが「労働者と農民の国家 Arbeiter-und-Bauern-Staat」を標榜する東独の階級闘争のイデオロギーにマッチし、紙幣に描かれるような聖人的なポジションを獲得したわけです。旧東独の軍隊「国家人民軍 NVA:Nationale Volksarmee」は、この農民戦争に於ける農民軍の継承者と定義されていたくらいです。