誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(1):★★ ゲルリッツ Görlitz ーその11ー

★ ゲルリッツ Görlitz ーその10ーからの続きです

ザクセン州のゲルリッツをご紹介してきましたが、実はこの町には約30年前、東西ドイツの壁が崩壊しドイツが再統一を果たしてまだ間もないころに一度訪問したことがあるのです。まずハンブルクからアウトバーン A24経由でベルリンに行き、そこから南下して、かつて大戦の爆撃で破壊されたドレスデンに行き、その足で立ち寄ってみたのです。その時感じたことを当時書き記した駄文が残っていました。

エーリッヒ・ケストナーの「エミールと探偵たち」を読んだのは小学校の低学年、それこそ「わたしが子どもだったころ:Als ich ein kleiner Junge war」のことだった。読んだ本は失くしてしまったが、岩波少年文庫だったか、最初の前書き何ページかの黄色の背景に、独特のほのぼのとした線画で描かれたポニー・ヒューチヒェン、エミールそしてシャンプーをする美容師のお母さんなどをありありと思い出すことが出来る。もちろん、あの、ちょっといかがわしい山高帽の男の顔も...(失くしたと思っていたその本が押し入れから出てきました ↓↓)

舞台となったホテル・クライドのある場所、ベルリンのノーレンドルファー・プラッツという響きが妙に新鮮だったのか、これもずっと記憶の奥底に刻み込まれていたようで、初めてベルリンに行ったとき地名を調べてホテルを探しに行ったものである。もちろん架空の話でそんなホテルなど無かったのだが...爆撃を受けてから40年余りでみごとに復興し、近代的なビルが立ち並んでいるベルリンのイメージ自体が、ケストナーの描き出した世界とあまりにもかけ離れていて、頭の中でそれを連続に補完することが出来なかった。これは...ケストナーのベルリンじゃない。

爆撃されると町はその時間的連続性を失ってしまうのだ。

ダンツィヒやワルシャワの旧市街など、いくつかの都市のように、爆撃破壊前の状態を完全に再現する努力というのは、おそらく希有な例外であり、例外であるが故に有名になったに過ぎない。普通は、爆撃され、戦争が終結した後は、ある時間をかけて瓦礫を取り除き、そこに「その時の最新のモダンな建物」を建てるのが、コストから見ても、技術から見ても、欲求からしても自然な流れであろう。そしてその結果、何百年から景観の全体像は失われ、破壊を免れた数百年ものの建物群と、モダンな最新の建物群が「数百年の時間的断層」を露わにして共存し、町はズタズタになるのだ。

初めてそう感じたのは、やはりベルリン、それも東ベルリンをブランデンブルグ門からウンターデンリンデンを通り、共和国宮殿の脇を通って隣に大聖堂を過ぎ、テレビ塔の横を通ってアレキサンダープラッツあたりまで歩いた時であった。ベルリンのいわゆる「一番おいしい部分」と思う。爆撃を免れた建物群から戦前はさぞかし凄い街であったのだったろうということが容易に想像できた。そしてそのノスタルジックな想像を邪魔するのが、私が勝手に「共産モダン様式」と名付けている、粗悪なコンクリートとプラスチックの醜悪な建造物群であった。

ケストナーの自伝的小説「わたしがまだ子どもだったころ( Als ich ein kleiner Junge war )」は戦前のケストナーの子供時代のドレスデンが生き生きと描かれ、時代を超えて時間を共有できる様な気がする大好きな作品なのだが、そのなかの一節....

こんな風に始まる、たかだか2ページほどの一節...ここに込められたケストナーの無念が痛いほどに伝わってくる。爆撃され破壊された都市は、たとえ再建復興したとしても...「もはや存在しない」のだ。

怖いもの見たさでそのドレスデンに行ってみた。第二次大戦史に残る徹底した無差別爆撃が行われたのは1945年2月13日から14日にかけてで犠牲者は6万とも25万とも言われている。エルベ川に面した一角がかろうじて残っているのがむしろ哀しいくらいであった。もちろん周辺は再建されて、人口規模もザクセン第一の都市になってはいた。しかしケストナーの「ドレースデン市」はもはや存在していなかった。かつて東ベルリンで感じたことを追体験するだけであった。


その足で、たまたま気が向いてゲルリッツという見知らぬ町に行ってみた。ナイセ川がポーランドとの国境線となるという運命の悪戯で町の半分を失ってしまったという不運はあるのだが、町自体はどういう経緯か幸運にも爆撃を免れたようであった。社会主義の経済的失敗からくる貧困で、建物の壁は補修が行き届かずボロボロで、人が住まなくなった所は廃墟化し、道路は穴があいたまま放置されていた。にもかかわらず...いずれまた磨けば光るだけの骨組みはしっかりと残っていたのを感じた。

その後、色々な町を訪れて、イタリアの諸都市がなぜあのように素晴らしいか、パリが、ウィーンがそしてプラハが何故にあれだけ人の心を惹きつけるのかが理解できるようになった。時間的な不連続断層がないからなのだ。

爆撃されたら...町はお終いだ....

★ ゲルリッツ Görlitz ーその12ーに続きます

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