三十年前のドイツ(53):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー8-

三十年前のドイツ(52):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー7-からの続きです。

さてこれからの時間設計をどうするかということで、上司・同僚と協議した結果、下の地図のようなルートでロストックを目指すことになりました。まずはバルト海の保養地「キュールンクスボルン Kühlungsborn」を目指します。日本では東郷平八郎が破ったロシアの「バルチック艦隊」のイメージがあるのか「バルト海」と呼ばれますが、ドイツでは単に「東海(オストゼー) Ostsee」と呼ばれます。ちなみに日本でいう「日本海」は韓国や中国では「東海」と呼ぶようです。ロシアではドイツの「東海」をどう呼んでいるんでしょうか?ちなみに・・・こういう人と親交があります(笑)

随分と長い距離を走るように見えますが、実はたいした距離ではありません。見えにくいかも知れませんが、右下に「5km」のスケールがあります。現在のGoogleMapでは87kmを1.7時間で走る=時速50kmで計算しています。当時の道路状況ではもう少しかかりましたが・・・

Kindeheim 子供を預かる施設でしょうか、海辺のちょっと手前にそんな感じの建物があります。車を停めてその辺をぶらぶらしていると窓辺には子供たちが大勢でこちらを指さしてキャッキャとはしゃいでいます。その横で先生と思しき女性が、なにやら胡散臭そうにこちらを見ています。そりゃそうですよね、東西の国境が開いてまだたったの半年・・・旧東独の人達が接してきたアジア系は同じ社会主義陣営の中国人・北朝鮮人・(北)ベトナム人くらい・・・そこに、似たような風貌の国籍不明のアジア系が、西の最高級車メルセデスに乗ってやってきたのです。大人としては「なんだろう、この人達?どこの誰?何しに来たの?」と不審に思うのも無理はありません。写真を題して「高級車に乗った怪しいアジア人に対する子供の好奇心と大人に猜疑心」(笑)

実はこのあたり、ベルリンの壁が構築された 1961年 8月のもっと前、1953年 2月に「バラ作戦 Aktion Rose」と呼ばれる、民間経営の宿泊施設に対する国家による強制収用が行われた場所なのです。社会主義国家を建設するという大義名分のもと、このバルト海に面する伝統的な保養地を FDGB労働者向け保養地とするために、些細な罪で民間宿泊施設のオーナーを逮捕し、ホテルなどを接収したのです。まあ、考えすぎかもしれませんが、どこかにそういうトラウマは有ったかもしれませんね。その時の体験者をインタビューしたこういう記事もあります。

ここでは詳しく書きませんが、前回訪問したエルベ川に面した Dömitzを始め、第二次大戦の戦後処理の結果、西独との国境の近くに元々住んでいた人達の殆どは「Aktion Ungeziefer(害虫駆除作戦)」という国家の施策で家屋・土地を接収・没収され、国境から遠く離れた内陸部に移住させられた歴史があるのです。

その辺を散歩して戻ってくると、好奇心いっぱいの子供たちはこんな感じで、片言のドイツ語を喋る我々とあっという間に打ち解けました

風が強く海に白い波頭が立っています。早朝の出発だったので、ここらで持ってきた愛妻弁当の時間です(笑)砂浜には Strandkorbという、日本ではあまり見ない「日除けと座席」を兼ねたボックスが並んでおり、典型的な海辺の保養地という感じです。保養の季節としては少し早すぎたようです。

下の動画は上のベンチあたりから周りをグルっと映像に収めたものですが、冒頭にホンの一瞬映っているのは右の FDGBの保養施設だろうと思われます。

これは強制的に接収したのではなく、建築様式からしてその後新たに建設されたものと思われます。子供みたいな好奇心の塊で(笑)中に入ってみました。写真や映像が残っていないのが残念ですが、ドアは開いており中には人がおらず、大広間みたいなところにスルスルと入っていくことができました。パーティや社交ダンスのできる会場、時としては社会主義統一党の集会にでも使われるのでしょうか。シャンデリアは西側のお城によくあるタイプではなく、茶色っぽく分厚いガラスの、無骨なデザインのものでした。


旧東独の絵葉書

動画にも出てきますが「Haus am Meer」(海辺の家)・・・んんん、なかなかの状態です

Haus am Meerの現在の姿!いい感じにリノベーションされています。ロゴも昔のままに再現されています。ここには是非古い写真と動画を持って泊まりに行こうと思っています


このあたりはいずれまた、いい保養地になるんだろうな~と思える場所でした

三十年前のドイツ(54):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー9-に続きます。

関連記事

ページ上部へ戻る