- 2020-5-12
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三十年前のドイツ(52):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー7-からの続きです。
さてこれからの時間設計をどうするかということで、上司・同僚と協議した結果、下の地図のようなルートでロストックを目指すことになりました。まずはバルト海の保養地「キュールンクスボルン Kühlungsborn」を目指します。日本では東郷平八郎が破ったロシアの「バルチック艦隊」のイメージがあるのか「バルト海」と呼ばれますが、ドイツでは単に「東海(オストゼー) Ostsee」と呼ばれます。ちなみに日本でいう「日本海」は韓国や中国では「東海」と呼ぶようです。ロシアではドイツの「東海」をどう呼んでいるんでしょうか?ちなみに・・・こういう人と親交があります(笑)
実はこのあたり、ベルリンの壁が構築された 1961年 8月のもっと前、1953年 2月に「バラ作戦 Aktion Rose」と呼ばれる、民間経営の宿泊施設に対する国家による強制収用が行われた場所なのです。社会主義国家を建設するという大義名分のもと、このバルト海に面する伝統的な保養地を FDGBの労働者向け保養地とするために、些細な罪で民間宿泊施設のオーナーを逮捕し、ホテルなどを接収したのです。まあ、考えすぎかもしれませんが、どこかにそういうトラウマは有ったかもしれませんね。その時の体験者をインタビューしたこういう記事もあります。
ここでは詳しく書きませんが、前回訪問したエルベ川に面した Dömitzを始め、第二次大戦の戦後処理の結果、西独との国境の近くに元々住んでいた人達の殆どは「Aktion Ungeziefer(害虫駆除作戦)」という国家の施策で家屋・土地を接収・没収され、国境から遠く離れた内陸部に移住させられた歴史があるのです。
下の動画は上のベンチあたりから周りをグルっと映像に収めたものですが、冒頭にホンの一瞬映っているのは右の FDGBの保養施設だろうと思われます。
これは強制的に接収したのではなく、建築様式からしてその後新たに建設されたものと思われます。子供みたいな好奇心の塊で(笑)中に入ってみました。写真や映像が残っていないのが残念ですが、ドアは開いており中には人がおらず、大広間みたいなところにスルスルと入っていくことができました。パーティや社交ダンスのできる会場、時としては社会主義統一党の集会にでも使われるのでしょうか。シャンデリアは西側のお城によくあるタイプではなく、茶色っぽく分厚いガラスの、無骨なデザインのものでした。
旧東独の絵葉書
三十年前のドイツ(54):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー9-に続きます。