- 2020-5-11
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三十年前のドイツ(51):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー6-からの続きです。
シュヴェリンから約 30kmほど北にあるヴィスマール Wismarに向かいます。
上の地図は最近の Google Mapで示したルートで、車で32分とありますが、当時はまだ道路も整備されておらず、もう少しかかった記憶があります。
下の動画の冒頭に、一瞬だけ不思議な看板のようなものが映ります。右に静止画として切り取ってありますが、これは矢印の方向に「公衆電話がある」というサインです。
当時は西独でもまだ携帯はほとんど普及しておらず、逆に公衆電話はどこにでもあったのですが、東独では場所をガイドする看板が必要な状態だったいうことで、当時の事情が垣間見えます。
矢印の方向にはマルクト広場があります。
正面の黒っぽい建物は Alter Schwedeと呼ばれており、Wismarでは最も古い市民階級の居宅ということで、今はレストランが入っています。右手にある低い塔のようなものは Wasser Kunstという噴水です。
Wikipedia(日本語版・ドイツ語版)によれば「ヴィスマール (Wismar ドイツ語発音: [ˈvɪsmaɐ]) はドイツ北部、バルト海に面した小都市である。2018年12月31日現在の人口は約4.3万人(1905年の人口は21,902人であるため、100年間で人口が倍増したことになる)。かつてハンザ同盟都市の一つであった。現在はドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州ノルトヴェストメクレンブルク郡の郡都。ヴィスマルとも表記される。
45キロメートル西にリューベック、30キロメートル南にシュヴェリーンがあり、ヴィスマール湾に面した天然の良港を持っている。 教会ならびに市内の建造物は「ハンザ同盟都市の煉瓦建築」を代表し、2002年にシュトラールズントともに「シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区」としてUNESCOの世界遺産に登録された」とあります。
またスエーデンとの関係ではこういう興味深い記述もあります。「1648年、ヴェストファーレン条約で、ヴィスマールはその支配権と都市領主の称号を神聖ローマ帝国からスウェーデンに譲渡された。こうしてスウェーデンの君主は神聖ローマ帝国内に所有する事となったヴィスマール及び他の領地の「公」または「帝国諸侯」として帝国議会に参加するようになった。1653年には、スウェーデン諸領の最高裁判所がヴィスマールに設置された。1803年スウェーデンはヴィスマールとその支配権をメクレンブルクに「100年後に買戻す権利を自国が保有する」という条件を付きで、125万8千リグスダレルの担保として譲渡した。このスウェーデンの付けた条件のため主権の所在が曖昧となり、ヴィスマールは1897年までメクレンブルクの議会に代表を送ることが出来なかった。1903年スウェーデンは最終的にその権利を放棄した。
ヴィスマールは都市固有の旗を掲揚する権利など古くからの都市の特権の名残を今日まで持ち続けている。」
三十年前のドイツ(53):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー8-に続きます。