誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(37):★★★ノイシュタット=グレーヴェ Neustadt-Glewe -2-

★★★ノイシュタット=グレーヴェ Neustadt-Glewe -1- からの続きです

泊ったのは「Hotel Schloss Neustadt-Glewe」、かつてのお城をホテルにした、ドイツやヨーロッパによくあるタイプです。和訳するのに困るのは、この町には「Burg Neustadt-Glewe」というのがあることで・・・Burgも「城」と訳しますからね。ザックリした印象としては「Burg:Schlossより年代が古く、さほど装飾的ではなく、戦闘用の砦としての機能が主体。城塞と訳すのがいいのかも・・・」に対して「Schloss:ルネサンスやバロックなどの様式が取り入れられ、戦闘用ではなく君主・領主の居館として機能。君主の居館(Residenzschloss)で規模が大きく政務にも使われたものは宮殿という訳の方がフィットするかも・・・」という感じですかね。所詮日本とは文化が異なるので「一対一」の訳は不可能なので、ややこしい時は敢えて訳さず Schloss、Burgをそのまま使うことにします。

独語 Wikipediaの「Liste von Burgen und Schlössern in Mecklenburg-Vorpommern」の解説によると「ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州には、数多くの城、宮殿、荘園があり、その数は 2,000を超えている。 これらの建物の中には、1,000年の歴史を振り返ることができるものもあり、歴史的な出来事の舞台となったり、著名人の活動の場となったりして、今もなお堂々とした建物が多い。

狭義には、ポメラニアン公爵とメクレンブルク公爵(メクレンブルク・ストレリッツとシュヴェリン)の旧居のみが実際の「城 Schloss」であり、つまりは君主の公式な住居として機能していた。城(Schloss)と呼ばれているその他の建物は、通常、貴族または非貴族の地主が住む田舎の邸宅で、いわゆるマナーハウス(Gutshaus)または荘園(Herrenhaus)である。

メクレンブルク=シュヴェリン公国では Güstrow, Ludwigslust, Dargun 及びSchwerinにある宮殿が公爵家の邸宅として機能していた。メクレンブルク=シュトレリッツ公国には、主居の Schloss Neustrelitz、副居が Hohenzieritz, Mirow及び Neubrandenburgにあった。」とあります。

また、このリストは:
1.レジデンツ宮殿(公爵家の居館・副居):Residenzschlösser
2.城塞・砦:Burgen und Festungen
3.Schlossと表現されている地方貴族・非貴族の館:Als Schloss bezeichnete Gutshäuser
という分類がされていますが、件の Schloss Neustadt-Gleweはその3.に分類されています。

独語 Wikipediaによると「バロック様式の城は、オランダ古典主義様式の2階建て3翼の複合施設で、Ehrenhof(三方をコルス・ド・ロジス(corp de logis)と側翼で囲まれたレセプションの中庭のことです。 フランスのルネッサンス期の宮殿建築で発展したもので、特にシンメトリーなバロック様式の宮殿群に特徴的)を持ち、数百本の樫の杭の上に立っている。簡素な田舎の宮殿の内部の天井は精巧なスタッコ細工で装飾されており、スタッコの表面積は約 1,600m²です。新宮殿には 32の暖炉があり、ロゼットやコーニス、フィギュアなどで装飾されている。

宮殿の建設は、アドルフ・フリードリヒ 1世公の指示により、1618/19年に新宮殿形式の建物の設計図が作成された。オランダの後期ルネッサンス様式の建物の設計図は、公爵家の棟梁であるゲルハルト・エヴァート・ピルースによって作成された。1629年に彼が亡くなると、仕事がストップしてしまった。建築家レオンハルト・クリストフ・シュトゥルムの指揮のもと、宮殿が完成したのは 1711年から 1717年にかけてのことであった。内装工事にはさらに 8年を要した。グラボウの町火事の後、3年後にメクレンブルク=シュヴェリン公となったクリスチャン・ルートヴィヒ 2世は、1725年から 1735年まで新宮殿に移った。その後、比較的快適なフラットが用意された。

第二次世界大戦後は、他の国と同様に、難民や戦災被災者のために各部屋が用意された。ドイツ民主共和国時代には、この城は学校として使われ、壁崩壊後までは図書館やランチキッチンが置かれ、働く人々や生徒たちが利用していた。その頃には荒れ果ててしまっていた。樫の木の杭の上に建つ城は、沈没の危機に瀕し、壁には亀裂が入り、内部では漆喰部分の落下から見学者を守るために天井にネットが張られていた。1990年以降、基礎、屋根、外壁、内装などの大規模な改修工事が行われ、現在はホテル・シュロス・ノイシュタット・グレーヴェとレストランが併設されている。ポーランドの専門家によって修復された漆喰の天井は、一見の価値がある。」とあります。

↑↑ ↓↓ 旧東独時代にはこういう感じになっていたようです。

私が泊まったのは本館ではなく、Amtshausと呼ばれる旧管理棟の部屋でした。

そこからは本館がこういう角度で見えます

↓↓ 本館ロビーです



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★★★ノイシュタット=グレーヴェ Neustadt-Glewe -3- に続きます

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