誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(64):★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -4-

★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -3- からの続きです

共和国通り(Strasse der Repblik)と菩提樹通り(Linden Strasse)が交わるあたりで左手を見る、或いはザールルイ通り(Saarlouis Strasse)と中央広場(Centraler Platz)が交わるあたりを右に見ると、ひと際目立つシンプルながら荘重な建物があります。市庁舎(Rathaus)です。下記は独語 Wikipediaからの引用です。

所在地と建築

建物は町の中心部、中央広場の東側に位置する。現在アイゼンヒュッテン・シュタットの行政センターとして使用されている建物は、寄棟屋根の上に漆喰を塗った3階建ての堅固な構造である。

歴史

市庁舎は 1953年から 55年にかけてスターリンシュタット建設の一環として建設され、当初は「Haus der Parteien und Massenorganisationen(政党と大衆組織の家)」と呼ばれていた。大規模な計画の一部だった。 共産主義下では宗教が否定されていたため、目立つ建物/塔としての教会はなかった。しかし、政府は目立つ建物が必要だと考え、いくつかの記念碑的な建物が計画され、そのうち市庁舎だけが実現した。

建物の中には入れなかったので、こちらのサイトから画像を借用しておきます。モザイク壁画は東独の画家 Walter Womackaの作品です。

Walter Womackaは東ドイツの画家、グラフィック・アーティスト、建築デザイナー。ベルリン・ヴァイセンゼー美術学校の校長を 20年間務めた人物で。ドイツ民主共和国における社会主義リアリズムの最も重要な代表者の一人である。パネル画、グラフィック、水彩画に加え、1950年代には、旧国家評議会の建物やベルリンのフンボルト大学のガラス窓、モザイク画やエナメル作品もデザインした。1968年、アレクサンダー広場の新しい建物の芸術的デザインを担当。そこでは、「教師の家 Haus des Lehrers」の 7×125mのフリーズ「Unser Leben」(1964年)、「民族間の友情の泉 Brunnen der Völkerfreundschaft」(1970年)、「旅する人間と宇宙の家 Haus des Reisens Mensch und Raum」の銅製レリーフ(1971年)をデザインした。

↑↑ ↓↓ 「教師の家 Haus des Lehrers」の 7×125mの壁画(ベルリン・アレキサンダープラッツ)

夏時間の夕方は西日を受けて神々しいばかりです(笑)

★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -5- に続きます

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