- 2024-2-10
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★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -2- からの続きです
駅を Wikipediaでチェックしておきます。
アイゼンヒュッテンシュタット駅(旧フュルステンベルク駅)は、アイゼンヒュッテンシュタットの町にある唯一の鉄道駅で、ベルリン-グーベン線にある。駅のサービスビルと待合室は指定建造物であり、2022年には1日約2000人の旅行者がこの駅を利用していた。
歴史
フュルステンベルク(オーデル)駅は、1846年9月1日にフュルステンベルク(オーデル)市の中心部から西へ1.0kmの地点に、ニーダー・シレジア・モラヴィア鉄道のフランクフルト-ブンツラウ区間と共に開業した。最初の駅舎は1848年頃に完成した。
貨物輸送量の増加に伴い、1854年から1910年の間にいくつかの貨物駅舎が増築された。1898年と1900年には、駅舎に衛生設備と1・2等待合室が増設された。1908年、旅客輸送量の増加に対応するため、クリンカー煉瓦造りの外壁を持つ2階建ての新駅舎が建設され、その後、旧駅舎は住宅に改築された。
1930年頃、フュルステンベルク(オーデル)の町の意向に反して、ドイツ帝国鉄道は2つの駅舎を1階建ての棟で連結した。1930年代には、アインハイト・デザインの2つの機械式信号機が駅構内に建設された: 南側の先頭には後にW2と呼ばれる守衛信号所Fstが、北側の先頭には後にB1と呼ばれる派出所信号所Frbが設置された。
1950年以降、スターリンシュタットとアイゼンヒュッテン・コンビナート・オストの建設により、鉄道駅の重要性が高まった。このため、ドイツ帝国鉄道は、西側の新市街に面した格調高い駅舎を計画した。1961年にフュルステンベルク(オーデル)がアイゼンヒュッテンシュタットに編入される以前にも、1959年または 1960年に駅名がアイゼンヒュッテンシュタットに変更されている。
駅構内の 2つの機械式信号機は 2016年 7月 2日に廃止され、2016年 7月 11日に運用が開始された SIMIS D設計の電子式信号機に置き換えられ、フランクフルト(オーデル)・オーデルブリュッケ駅から遠隔操作されるようになった。2020年から2022年にかけて駅構内の大規模な改修が行われた: ホームの屋根が改築され、3基のエレベーターが設置され、2本のホームがある中央ホームは全長 220メートルに延長された。これに 1,000万ユーロが費やされた。
駅からはバスに乗ります。1kmほど走ってカール・マルクス通りを左折し、500mほど走って共和国通りを右折してラートハウスあたりで適当に降りて街歩きを始めます。
計画都市らしく、道路は殆ど直線で広々としています。旧東独にありがちな安普請の「Plattenbau(コンクリート板のプレファブ工法の(構想)住宅」ではなく、どっしりとした4階建てくらいの立派な建物が連なっています。この町が建設された 1950年代前半といえば社会主義がまだまだ元気だった時代で、東独末期のように建築資材の供給もままならず建物の補修もできなかった状況とは異なり、まだまだ贅沢に資材を投入できたものと想像されます。
Wikipediaから引用した人口推移ですが、都市建設前はフュルステンブルクという小さな村で人口も 2,400人ほどだったところ、製鉄所の労働人口の増加と共に人口も増加していき(東独政府もここの労働者はエリートとして優遇した)ベルリンの壁崩壊の前年には 50,000人を超えました。
その後、社会主義経済下では何とか回っていた製鉄所も競争力を失い単独では生き残れず、現在はアルセロール・ミッタルグループの傘下となっています。
人口も流出が続きピーク時の半分以下に減少しています。この際、「残った住民を都市建設初期に建てられたこういう丈夫な住居に転居集約し、東独経済が困窮していく過程で建設された周縁部の安普請の高層住宅から順に撤去解体する」という住宅政策を進めているようです。考えて見れば皮肉なもんですね。
とはいえ 1992年に来た時にはこういう立派な建物の外壁などもかなり傷んでいましたが、そこは近年修復されて見栄えは回復しています。
集合住宅の一階部分が店舗やレストランになっているのは、この手の建築様式ではよくあるパターンです。
右側の窓ガラスには月曜日から日曜日まで(無休)で11:00~14:30と 17:00以降が営業時間とありますが、左手の黒板には手書きで「月・水・木は休業日、火曜日と金曜日は夜だけ、日曜日は昼だけ、土曜日だけは昼&夜」と、かなり営業日・営業時間が減っています。旧東独の大都市・観光都市(ライプツィヒとかドレスデンなど)は別として、人口減少が続く地方の中小都市では外食産業や居酒屋が成り立たなくなってきており、多くが廃業しています。まあ、ここはまだ廃業まではしていないのが救いかもしれません。
この店も営業日ではなかったのか営業時間外だったのか閉まっていますが、外にテーブルと椅子を並べているところから廃業はしていないようです。
ん?Saarloiuser Spezialitätenって・・・なんだ?そういえばこの通りの名前も Saarloiuser Strasseだな・・・ということでググってみると Saarlandの都市 Saarlouisのことのようです。フランスとの国境にありアルザス・ロレーヌなどと同様にフランス領だったこともあるためか、ドイツ語でも町の名前は「ザールルイ」と呼んでいます。
なんと 1986年、ベルリンの壁崩壊の僅か3年前に東西ドイツ間で初めての姉妹都市(Partnerstadt)となったということです。それまでは東西ドイツ間では姉妹都市提携は無かったんですね!例外的には Sachsen=Anhalt州の Zerbstが Niedersachsenの Jeverと 1960年(壁構築の前年)に姉妹都市提携をしていますが、冷戦中は凍結されていました。
こちらに Deutschlandfunk Kulturの「Vorsichtige Annäherung zwischen Ost und West」という記事と音声があります。記事は DeepLに翻訳させてみました。下の ✙✙をクリック下さい。
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