誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(54):★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -3-

★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -2- からの続きです

更に町を目指して歩いていきます。しかし舗道がフラットではなく、石畳やコンクリートタイルのブロックがところどころ盛り上がったり凹んだりして歩きにくいです。町の入り口まではもう 300mくらいですが、こんな短い距離の区間でもいくつかのエピソードが書けてしまいます。楽しいですねえ(笑)

下のサムネイルはクリックするとスライドショーになります。石を敷き詰めた石畳の部分は恐らく戦前からの舗道、コンクリートタイルを敷いた部分は旧東独時代のものと思われます。石畳はロングレンジではメンテナンスが必要なのでしょうか・・・造った当時はフラットだったのでしょうが、凸凹になっています。また旧東独時代のコンクリートタイルは粗悪な品質と見えて割れや欠けが目立ちます。いずれも躓きやすく歩き難いのですが・・・まあ、ここらまで補修の予算が付くのはまだ先のことなのでしょうね・・・

「勿忘草(ワスレナグサ)」という名前の花屋さんがあります。「忘れる勿れ・忘れないでね~」・・・って意味なのに、何故「Vergiss mich nicht」ではないのか?というのは、ドイツ語の授業で先生の蘊蓄として聞いたことがある方もおられるでしょうね(笑)こちらに答えがあります。

古びた飾り看板があります。「プリーツ加工を施したような布と大きな縫い針と糸」・・・のようですが「仕立て屋さん(Schneiderei)」「お直し屋さん(Änderungsschneiderei)」のようですね。窓辺には旧型のミシンのミニチュアやアイロン、ハサミなどが並べられています。住所で検索するとこちらを含めいくつかヒットします。閉店したという情報は見当たらないので営業は続けていると思いますが、一週間の開店時間は合計 20時間(笑)

都市部ではイスラム系の難民・移民と思しき人達が「お直し屋さん(Änderungsschneiderei)」をやっていることが多いですが、こちらのオーナーはドイツ系の女性のようで、昔からやっている店と見ました。多分高齢の方と想像しますが、旧東独時代はどんな経営だったのか?とか後継者は?とか・・・いろいろ話を聞いてみたいですね。↓↓ 下の画像はそれぞれクリックすると拡大します。

だんだん町が近づいてきました。建物がそれっぽくなってきます。右手の立派な建物は「郵便局(Postamt)」です。郵便事業というのは昔からかなりなステイタスだったとみえて、どこの町の Postamtもかなり立派な建物です。ヨーロッパの郵便事業はバイエルンのレーゲンスブルクに広大な屋敷と庭園を所有している「Thurn und Taxis家」が創設したものですが・・・ここに踏み込むと長くなるので(笑)独語 Wikipediaにリンクだけ張っておきます。


ところで、町の入り口に繋がるこの道は「イェーファー通り Jeversche Strasse」という名前が付いています。北ドイツに住んでいたので「イェーファー Jever」というと、北海に面したニーダーザクセン州フリースラントの綺麗な小さな町(人口 15,000人程度)とピンときますが、なにより Jeverpilsというビールで有名です(笑)

でも、何故そんな、400kmも離れた小さな町の名前を冠した通りの名前がここに?

独語 Wikipediaの Jeverの項目には「1667年、イェーファーはアンハルト・ツェルブスト候国の一部となった。アンハルト・ツェルブスト候国は男系継承を定めていたため、1793年にツェルブスト公国の最後の男子相続人が死亡すると、1797年にこの公国は他のアンハルト公国の間で分割されることになった。しかし、Kunkellehen(女性に与えられた領地、あるいは(男性の相続人がいない場合)女系でも相続可能な領地のこと)としての特別な地位のため、イェーファーランドは次の相続人、ツェルブスト最後の侯爵の妹であるロシア皇帝エカテリーナ 2世に譲られることになった。こうしてイェーファーは、1807年にフランス軍に占領されるまで「ロシアに支配された」のである。1807年にはオランダ王国に併合され、Département Ems-Orientalとなり、1810年にはオランダとともにフランス帝国の一部となり、1813年までナポレオン支配下にあった。ナポレオン崩壊後、イェーファーはロシア王家の所有となり、1818年にオルデンブルク大公国に割譲された」・・・とあります。ここから 400kmも離れた小さな田舎町と、そういう縁があったんですね!ちなみに旧東独時代には凍結されていたようですが、ベルリンの壁構築の前年の 1960年に両都市は姉妹都市提携を結んでいました。

庭の向こうにかつての城壁と思われる壁が見えています。

ここから向こうが旧市街ということになるのでしょう。Jeversche Strasseの両側に城壁跡と思われる壁が見えています。

↑↑ 旧い絵葉書によればこの場所のようです。現在は Jeversche Strasseとなった Bahnhofstrasseで、城門こそ無くなっていますが、よく見ると右側の城壁の直ぐ後ろにある建物の形は同じです。そこから遠くに見える塔に至るまでの道路には建物が連なっているのが見えています。

さて、ここから一歩町の中に足を踏み入れた私は、思わず「えっ?そんな・・・」と言葉を失いそうになるような光景を見ることになります!

★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt – 4 – に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る