誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(54):★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -2-

★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt -1- からの続きです

例によって、駅は町の真ん中にあるわけではありません。スマホの GoogleMapアプリによれば旧市街の入り口あたりまで 1kmあまり、15分くらい歩くようですが、もう全然驚きもしません。一応駅前にはバス停がありますが、バスが来るまで待っているより、まずは歩き出そう!・・・元気だよなあ(笑)

駅舎は立派なものですが、訪問した 2022年 6月の状態は旧東独の他の田舎駅と同様、残念な状態になっています。しかし・・・ここは瘦せても枯れても(・・・枯れてますが(笑))かつてのアスカニア家のアンハルト・ツェルプスト侯のレジデンスシュタット・・・侯爵家が鉄道で移動する際の待合室や貴賓室のような部屋が用意されていたはず・・・そういうところにも着目してか、この駅舎をなんとかしたいという動きはあるようです。関心があおりのドイツ語の分かる鉄ちゃんはこちらこちらなどをご参照ください(・・・そんな奇特な人はいるのか?(笑))

町の入り口まで 1km弱・・・どうってことないですね、歩き始めます!

しかし・・・この人は健在ですねえ・・・(笑)

↑↑ この写真は後ろを振り返って撮ったので、左手の植栽は町に向かっての進行方向に対して右になります。地図で見るとシュロスガルテン(お城の公園)の3分の1もあろうかという広大な庭園が広がっています。

独語 Wikipediaにこの公園「Rephuns Garten」と、そこで営業していたレストラン「Gaststätte Von Rephuns Garten」の項目があります。

それによると「レフン庭園は、16世紀から存在するレフン家のブルジョワ庭園群であった公共の公園である。1733年から 34年にかけて、英国王室御用達のヨハン・ゲオルク・ケーラーが徹底的な庭園設計を行った。1750年、この庭園は近代化され、レフン家に引き継がれた。18世紀以降、長方形と円形のプールは庭園の一部となった。1801年、庭園は庭師のフリードリヒ・アウグスト・ハルベンツに貸し出されることになった。その際、パスシステムの大部分はそのままにした。彼はまず、景観をデザインし直すことから始めた。バロック様式の道床構造と 2つの水盤を担当した。また、ロータリーに植えられた 2本の禿げた糸杉は、ツェルブストにある有名なコルタムの木の苗床から現存する唯一の標本の一つであり、彼が植えさせたと考えられている。レフンの庭は、森林管理者エルンスト・ウィルヘルム・ゴットロブ・フォン・レフンの死後、1811年の遺言により、森林管理者の他の財産と同様にツェルブスト町の所有となりました。 1887年に町は、その恩人にちなみレフンの庭と名付けました。レフンの庭の北側に位置する森林管理官レフンの住居と農場の建物跡地には、1895年からレストラン「フォン・レフンス・ガルテン」がある」・・・とあります。

こちらにここで営業していたホテル・レストランのサイトが残っていますが、今は営業していないようです。コロナ禍の為でしょうか・・・残念なことです。また、その中のこちらのページの中ほどには独自の視点でのこの庭園とレストランの歴史が語られており、ちょっと興味深いです(オタク向け(笑))

★★ツェアプスト Zerbst / Anhalt – 3 – に続きます

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