誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(70)★★ タンガーミュンデ Tangermünde -9-

★★ タンガーミュンデ Tangermünde -8- からの続きです

巨大な銀レフや大勢のスタッフが道路を占拠しています。どうやら町のプロモーションビデオとかテレビ番組の撮影のようです。インタビューしてくれないかな(笑)

↑↑ お?この建物は?
どうやら 1997年に訪問した時に撮った写真に写っていた建物のようです。

マーケットストリート13:ブーネンコップ
このハーフ・ティンバー様式の建物は、17世紀に建てられた以前の建物の基礎壁の上に建てられた。大規模な工事は、歴史的建造物の保存に十分配慮して行われた。前の建物の建材は可能な限り再利用された。

台形の土台を持つこの家は、川の堤防を安定させるための防波堤の頭のように通りに突き出ていることから、「ブーネンコップ(防波堤の頭)」として親しまれている。
この地域の観光促進を担うアルトマルク観光協会は、1993年からこの建物を拠点としている。

プティンネン(Putinnen):「2014年、プティンネンの屋根は、都市開発資金援助プログラム「歴史的な町の中心部を保護・保存するための都市記念物保護対策の促進」の資金で更新された。ドイツ連邦共和国とザクセン=アンハルト州が費用の80%を出資した。

城壁にある寄棟屋根の2つの四角い塔は、プティンネン(Putinnen)と呼ばれている。この名前について明確な説明はない。外壁を意味する Butentinnenが語源である可能性はある。どちらの塔も 1470年頃に建てられ、街の防衛システムの一部だった。また、井戸から十分な水が得られないことが多かったため、タンガー川の水へのアクセスも提供していた。

水への通路の反対側にある塔は、市民の牢獄、つまり浮浪者や旅行者ではなく市民のための牢獄として使われたこともあった。1819年から 1833年までは、アルトマルクで最初の測量事務所があった」

・・・某国の独裁者とは関係ないようです(笑)

★★ タンガーミュンデ Tangermünde -10- に続きます

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