誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(46):★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -4-

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -3- からの続きです

街歩きを続けます。ホテルを出て、Schloßstraße、Kirchplatz、Rathaus、Belgischer Platz、Grosse Allee、Klinikなどを反時計回りにぶらぶら歩いて、約 2.6kmの行程で、今回はその後半です。

Grosse Alleeを越えて右斜め前方にある一角は、プロイセンの軍隊の駐屯地があった場所で、その後ナチスの親衛隊(SS-Standarte 2 „Germania“)が駐屯し、戦後はベルギー軍が駐屯した場所で、かつてのパレード用広場は Belgischer Platzと名付けられています。周辺にはいくつかの記念碑が配置され、いくつかの建物は保存対象に指定されています。独語 Wikipediaにこの場所に関する経緯が詳説されています。


グローセ・アレー(Grosse Allee)です。日本語 Wikipediaには「街の景観にとって重要なのは、東西に伸びる全長約 1600 m の、1670年に造られたグローセ・アレー(直訳すると「大きな並木道」)である。この並木道には、6列に約 880本のオークが植えられている。特に夏にはその木陰に多くの飲食の屋台が出店する。この通りは、宮殿と1725年にはすでに解体されていたシャルロッテンタールの離宮との間の広く立派な連絡路であったと思われる。」とあります。ただ、件の離宮は町の北の方 Helsenという地区にあったので、宮殿と離宮の連絡路という説明には、個人的には納得が行ってません(笑)途中には、この町出身の医師「Wolrad Kreusler」の記念碑があります。

グローセ・アレー(Grosse Allee)の東の端で、アーロルゼン城の正面から延びる道路との交点にはこういう建物があります。今は「耳鳴りの専門病院」として知られるクリニークが入居していますが、元々は「1763年から 1778年にかけて、ヴァルデック=ピュルモント家のカール・アウグスト・フリードリヒの未亡人クリスティアーネ王女(Christiane Henriette von Pfalz-Zweibrücken)の住居として、名工フランツ・フリードリヒ・ロートヴァイルとヨハネス・マテウス・キッツによって建てられた」(独語 Wikipedia)ものです。

「内装はロココ調であった。美術品や自然史のキャビネット、多才な王女の図書館も新宮殿に置かれていた。工事完了後、英国式の大きな宮殿公園が作られ、王女のコレクションから様々なエキゾチックな針葉樹が植えられた。南側には、大きな段々畑のような果樹園と野菜畑が広がっていた。1785年の旅行ガイドには、「プリンセス・ガーデン」が特別な美しさを持っていると書かれていた。1853年、ヴィルヘルム・ブラスと建築家フランツ・クルツェの計画により、未亡人エマ・フォン・ヴァルデック・ウント・ピルモント(Emma von Anhalt-Bernburg-Schaumburg-Hoym)のために宮殿は古典主義様式に改築された。」とのことです。ここからすぐ先のお城に行くまでの間に皇帝ヴィルヘルム1世の記念碑があります。

さて、この Schloßstraßeの風景は夜の 21:30に撮影したものです。夏時間なのでなかなか暗くなりません。まあ、かなり歩いたのでご褒美に軽く一杯やろうと思います・・・歩かなくても呑むんだけど(笑)いくつかいい感じの店はありましたが、Platzhirschという店に入ってみます。おネエさんが感じよかったです(笑)

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -5- に続きます

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