- 2021-12-8
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ニーダーザクセン州(Niedersachsen)の町「アムト・ノイハウス Amt Neuhaus」をご紹介します。町というか、村というか、いくつかの集落が集まった自治体(Einheitsgemeinde)のようですが、ドイツの自治体の形態や名称は州ごとに微妙に異なっており、そもそも制度が異なる日本語にはぴったりハマる訳がなかなか見当たらないので、テキトーに「自治体」と言っておきます(笑)非知名度ランクでは自信を持って ★★★とします(笑)
Wappen | Lage | Data |
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上の紋章やデータ、そして下の地図を見て違和感を持ったとすれば、あなたは鋭いです(笑)四分割されたワッペンの右上には、ニーダーザクセン州のシンボル「赤い背景に白馬(Ross)」が描かれているし、データにも Bundesland(州)は Niedersachsen、Landkreis(郡)は Lüneburgとあります。
ところが下の地図を見ると、場所は前章でご紹介したメクレンブルク=フォアポンメルン州(Mecklenburg-Vorpommern)の町「ドェーミッツ Dömitz」のすぐ隣、エルベ川の向こう側にあるじゃあ~りませんか(笑)え?エルベ川の Lauenburgより上流は、川の中央が国境を形成していて、旧東独側の土手には延々と金網フェンスが張られ、監視塔があって・・・ドイツ統合の際には、川向うはメクレンブルク=フォアポンメルン州になったのではなかったの?なんでここがニーダーザクセン州?
実際、1990年 10月に東西ドイツが統一され、旧東独地域に新たに州ができたとき(Neue Bundesländer)ここはメクレンブルク=フォアポンメルン州に属していました。しかし、次回書きますが、1993年 6月に住民の意思に基づきニーダーザクセン州に移譲されることになったのです。
そもそも、この地区は歴史的に「ハノーファー選帝侯領(Kurhannover)」、ウィーン会議後は「ハノーファー王国」に属していたのです。その後、普墺戦争結果、1866年にハノーファー王国はプロイセン王国に併合されてしまいますが、この地域の行政はリューネブルクが担当することになります。
いずれにせよ、この地区はメクレンブルク・シュヴェリン(大)公国に属したことは無かったのです。当時はエルベ川で領土を区切るという発想は無かったんですね。
第二次大戦後、かつてのハノーファーの領域は英国軍が占領統治することになり、アムト・ノイハウス地区も英国占領軍の支配下に入りますが、ここにはエルベに架かる橋が無く、物資の補給やエネルギーの供給に支障が大きいという現実的な理由で 1945年 7月、ソ連占領軍に引き渡されてしまい、そのまま 1949年 10月に成立したドイツ民主共和国に属することになってしまったのです。運命の分かれ道・・・
そこに至る背景ですが・・・Amt Neuhausからは 200km近く南に下ったところにハルツ山塊があり、その東は褐炭炭田があり、その傍らに「ハープケ褐炭火力発電所 Braunkohlekraftwerk Harbke)があって、その一帯に電力を供給していました。
戦後処理で連合国諸国の占領地域を決めたヤルタ会談では、いわば「テキトー」に占領地域の境界線を合意したわけですが、この火力発電所はソ連占領地域に含まれた一方、英国軍占領地域のハルツ地方の電力はそれに依存していたことに、英国軍は後になって気が付きます。また原料の褐炭の露天掘り炭田(Tagebau)の大部分も英国占領地にあったのです。
その後、英国軍とソ連赤軍は交渉と駆け引きを駆使して、上の地図で英国占領地域だった赤い広い地域(Blankenburg)と、ソ連赤軍の占領地域だった青い小さな地域(Bad Sachsa)を交換し、また英国占領地域の褐炭をハープケ火力発電所に供給する代わりに、そこから電力の安定供給を受けるという合意に達したのです。(ハルツに於ける占領地交換 Gebietstausch 1945 im Harz)
そして 1945年 7月 23日に発行したこの合意に中に、直接は関係なかったものの、エルベ川の向こうのソ連占領地域に取り残された格好で英国軍としても扱いに困っていた Amt Neuhaus地区を、この合意文書の中に含めてソ連軍に引き渡してしまったのです。
★★★アムト・ノイハウス Amt Neuhaus -2- に続きます