誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(46):★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -10-

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -10- からの続きです

Schloss Strasseの西の端にある Kirchplatzと、そこから地図で左斜め上に延びている Rauch Strasseあたりを歩きます。

煙通り?いえ、これはこの町出身の Christian Daniel Rauchという彫刻家にちなんだもので、この先に生家があり、またお城の近くに博物館があります。

「Christian Daniel Rauch, * 1777年1月2日 in Arolsen, † 1857年12月3日 in Dresden)は、ドイツの彫刻家である。師であるヨハン・ゴットフリート・シャドウとともに、ドイツ古典主義の最も重要な代表的存在であり、ベルリン彫刻派の創始者である。主な作品に、プロイセン女王ルイーゼの墓(1814年)、ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ビューロー(1822年)、ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト(1822年)、ゲバルト・レベレヒト・フォン・ブリューチャー(1826年)、フリードリヒ大王(1851年)のモニュメント、バイエルンのマクシミリアン1世ヨセフ記念塔(1835年)、ニュルンベルクのアルブレヒト・デュラー記念塔(1840年)などがある。アロルゼンにある「クリスチャン・ダニエル・ラウフ生誕地」や「クリスチャン・ダニエル・ラウフ博物館」は、この彫刻家の重要な記念物である。」と独語 Wikipediaにあります。下の画像は Wikimediaからの借用ですが、いずれもどこかで見たことのある・ありそうな彫像ですね。

この町にはもう一つ、19世紀ドイツの重要な芸術家の生家と博物館があります。ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハWilhelm von Kaulbach)で「ヘッセン州のバート・アーロルゼンで生まれた。父親は金細工師である。1821年にデュッセルドルフ美術アカデミーに入学し、ペーター・フォン・コルネリウスに学んだ。1826年からミュンヘンに移り、ミュンヘン美術院で修行を続けた。1835年からイタリアに6年間、滞在し、多くの人物画を描くようになった。1847年からミュンヘン美術院の校長となり、ベルリン新博物館の大壁画を描いた。1850年代にはミュンヘンの美術館、ノイエ・ピナコテークの外壁に壁画を描いたが、これは残っていない。

多くの王族や、芸術家の肖像画を残し、文学作品に題材をとった絵画も残した。」とのことです。右の絵はカウルバッハによる作曲家フランツ・リストの肖像画ですが、「1855年の夏(1856年とも)に、ヴィトゲンシュタイン伯爵夫人からヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ(Wilhelm von Kaulbach)の壁画「フン族の戦い」の複製画を寄贈されたリストは、複製画を見て感銘を受け、これを交響詩として表現しようと思い立ったことが作曲の動機である。作曲の構想を練りながら、1857年に作曲に着手し2月10日に完成された。構想していた頃にリストはカウルバッハ本人と直接会って交流しており、また1857年頃にカウルバッハの案内でベルリンの美術館にそれらの原画を見た際、全ての原画を音楽化しようと計画を立てたが、実現したのは1曲のみであった。」とのことです。下の絵が「フン族の戦い」です。

「フン族の戦い」:ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ – パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=153367による

余談になりますが、リストにカウルバッハの「フン族の戦い」の複製画を寄贈したヴィトゲンシュタイン伯爵夫人は、その後リストと親密になっていくのですが、これがウクライナのキエフを舞台とした激しい恋の物語で・・・これはこれで深堀したくなります。概要は日本語 Wikipediaにありますので、リンクを張っておきます。

一般的な知名度はかなり低いと思われますが、町の歴史・郷土史的には顕彰されるべき医学博士の様です。「バート・アロッセンにいち早く近代医学を持ち込んだのは、医学博士ゴットフリート・マンネルである。1903年には早くもアロッセンの病院に X線装置を設置した。こうして、アロルセン病院は、ドイツでいち早くこのような医療機器を導入した診療所となったのである。1910年に建てられた病院前のブロンズ製の胸像とマンネル通りは、彼の功績に捧げられています。」

こちらにこの町出身の著名人のリストがあります。ドイツでは有名な女性作家 Christine Brücknerもこの町出身とのことです。「ドイツで最も成功した女性作家の一人も、アロルセン出身である。牧師カール・エムデとその妻クロチルデの娘、クリスティーネ・ブリュックナーは、1921年12月10日にバート・アロルセン市のシュミリングハウゼン地区で生まれた。1934年にカッセルに移るまで、そこで幼少期を過ごす。重要な物語、小説、解説、エッセイ、戯曲のほか、青少年向けの本や絵本も手がけている。また、市立図書館にも彼女の名前がついている。」

★★★バート・アーロルゼン Bad Arolsen -11- に続きます

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