誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(105)★★★ メルゼブルク Merseburg -5-

メルゼブルク Merseburg -4- からの続きです

カール大帝の戴冠

さてもう一件だけ ChatGPTとの対話にお付き合いください。歴史、特にドイツ史は「Heirich,Friedrich,Ludwig,Wilhelm」やそれに2世とか3世とかついた君主が入れ代わり立ち代わり登場して非常にわかり難いのですが、それを打破する方法として ChatGPTに疑問に思ったことを投げて対話してみると理解が進むことがあります。ぜひお試しください、結構優れものです!あ、Fact Checkもお忘れなく!(笑)さて最後にこんな質問を投げてみました。

神聖ローマ帝国において「皇帝と王の関係」はどういうものだったのでしょうか?また王と諸侯の関係は?域内で王と称されるには何が要件だったのでしょうか?プロイセンの Friedrich IIIは「Koenig von Preussen」とは名乗れず、域外のプロイセンにおいてのみ「Koenig “in” Preussen」と名乗れるなど、王の任免権者としての皇帝になんらかの基準があったのでしょうか?

一方でザクセンはザクセン王国、ハノーファーはハノーファー王国なんですよね?このあたりの序列や諸侯との関係が今一つ納得できてません。また神聖ローマ帝国初期では Otto der Grosseが「ドイツ王」であり「神聖ローマ皇帝」であったりします。時の流れになかでその関係が変わっていったのでしょうか?

ChatGPT:ここは多くの人が必ず一度は引っかかる核心で、違和感を持たれたのはまったく正しいです。

結論から言うと――神聖ローマ帝国において「皇帝・王・諸侯」は固定的な上下関係ではなく、時代と法理によって“意味が変質し続けた称号体系”でした。

順にほどきます。

Ⅰ.まず大枠:神聖ローマ帝国の「二重構造」:Holy Roman Empire

神聖ローマ帝国は、最初から最後まで 「二重国家」 でした。

【普遍帝国】= 皇帝(Imperator)

【地域王国】= 王(Rex)

【領邦】= 諸侯(Herzog / Markgraf / Graf / Fürst)

しかし――この上下関係は時代によって逆転・空洞化します。

Ⅱ.初期(10世紀):王が皇帝になる時代
  Otto der Große の時代:この時代のロジック
  まず王になる:Rex Francorum Orientalium(東フランク王)いわゆる「ドイツ王」:教皇から戴冠されて皇帝(Imperator)になる

👉 皇帝位は「王の格上資格」:この時代は:皇帝 > 王 > 諸侯 という明確な序列がありました。

Ⅲ.転換点①:皇帝権の“観念化”(11–13世紀)
  叙任権闘争(Investiturstreit) 皇帝 vs 教皇 皇帝の「普遍的支配権」が揺らぐ
  結果:皇帝=理念的存在、王権・諸侯権が現実権力を持つ
👉 「皇帝は偉いが、命令できない」状態が始まる

Ⅳ.転換点②:金印勅書(1356)
  皇帝選出のルール確定・Golden Bull of 1356・皇帝は選挙で選ばれる・選帝侯(Kurfürsten)が固定化・皇帝は諸侯の上に立つ、しかし諸侯の同意な  しでは何もできない
👉 皇帝=Primus inter pares(同輩中の第一人者)

Ⅴ.「王」とは何か?(決定的に重要)
  原則、帝国内で「王」を名乗ることは、原則として不可
  理由:皇帝は「唯一の王の上位存在」、域内に複数の王がいると、帝国の一体性が壊れる

Ⅵ.なぜ「König in Preußen」なのか:プロイセン問題
  ブランデンブルク選帝侯は帝国内の諸侯、しかしプロイセン公国は帝国外 👉 ここがトリックです。
  称号の意味
  ❌ König von Preußen→ 帝国内に王国がある(皇帝の権威侵害)
  ⭕ König in Preußen→ 帝国外領域における王
👉 皇帝は帝国内秩序を守り、帝国外称号には干渉しない:これが皇帝の「基準」でした。

Ⅶ.では、なぜザクセン王国・ハノーファー王国がOK?時代が違います
  19世紀(ナポレオン後):神聖ローマ帝国はすでに解体(1806)
👉 皇帝の任免権など もはや存在しない、つまり:これは神聖ローマ帝国の序列ではなく近代主権国家体系

Ⅷ.王と諸侯の関係(本音)
  中世後期〜近世では:諸侯は事実上の主権者、軍事・外交・課税を独自に行う
  王・皇帝は調停者、象徴的上位者
👉 逆に「諸侯が王を選ぶ」世界

Ⅸ.時間軸で一言整理

時代 皇帝 諸侯
10世紀 実権者 皇帝予備軍 従属
12世紀 観念化 地域支配者 自立
14世紀以降 調停者 事実上の主権者 主権者
19世紀 消滅 主権国家元首 国家元首

まとめ(腑に落ちる形で)

Otto der Große の時代 👉 王 → 皇帝(上昇関係)
後世 👉 皇帝 ≠ 王の上位者(調停者)
帝国内で「王」を名乗るには 👉 皇帝秩序を壊さない工夫が必要
König in Preußen は 👉 その法理的アクロバットの傑作
ザクセン・ハノーファー王国は 👉 すでに“別の世界”

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自分なりにまとめると「皇帝は教皇から任命される」「初期の神聖ローマ帝国では王(ドイツ王)が皇帝に任命された」「その後も帝国内では『王』という称号は与えられることはなかった」「形骸化したとはいえ皇帝は皇帝であり、力のある選帝侯も侯爵・公爵ではあっても王ではなかった」「ハノーファー王国・ザクセン王国などは皇帝の権威が崩壊してから王と名乗った」・・・こんなところでしょうか・・・

メルゼブルク Merseburg -6- に続きます

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