誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(106)★★ ナウムブルク Naumburg (Saale) -8-

ナウムブルク Naumburg -7- からの続きです

東独時代に取り残されたようなパン屋・・・予算がついてリノベされる日は来るのでしょうか?

トプフマルクト(Topfmarkt)の東側には、ユダヤ人街へと続くアーチ型の門があります。1350 年以来、ユダヤ人街はナウムブルクのユダヤ人の居住区でした。1440 年、ナウムブルクに住むユダヤ人の数は 22 人と記録されています。ザクセンの領主である選帝侯フリードリヒの主導により、1494年にユダヤ人はザクセンのすべての都市、つまりナウムブルクからも追放されました。宗教的慣習の遂行に使用されていたゲットーの建物は、完全に破壊されました。19世紀半ばになって、ユダヤ人が再びこの街に定住しましたが、彼らはもはや独自のシナゴーグ共同体を形成することはありませんでした。

旧市街の東南の外れまで歩いたところに思わぬものがあります。

超人思想Übermensch)などで知られる哲学者フリードリッヒ・ニーチェFriedrich Nietzsche)がイタリアのトリノで精神的崩壊を起こし、その後 1890-1897年の期間、母親フランチェスカの元で療養していた家です。

「1850年から1856年まで、ニーチェは「ナウムブルクの女性世帯」、つまり母親、姉、祖母、父方の未婚の叔母2人、そしてメイドと一緒に暮らしていました。1856年に亡くなった祖母が遺した遺産によって、母親は自分と子供たちのために自分のアパートを借りることができたのです」・・・と独語 Wikipediaにもあるように、幼少期にもナウムブルクに暮らしていましたが、その後はあちこちを移動し、晩年にまた戻ってきたということです。

母の死後は妹のエリザベートが最晩年の彼をワイマールに呼び寄せられますが、そこで彼の思想は妹によって歪められ、ナチスに利用されることになるのです。

ナウムブルク Naumburg -9- に続きます

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