誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(7):★★★ケーテン Köthen -その2-

マルクト広場からお城までゆっくり歩きます。

たまたまマルクト広場でフローマルクト Flohmarkt(蚤の市)が開かれており、いい天気だったこともあってか、なかなかの活気を感じました。商店街も直前に訪れたベルンブルクより賑わっている様に思います。衣料品のバーゲンも目につきますが、旧東独地域の物価事情を反映してか、結構安価ですね。フローマルクトで売られているものは種々雑多ですが、よくあるのは「旧東独や人民軍の記念メダル・制服の類」「戦前の(ハイパーインフレ時代の)貨幣」「書籍・レコード類」「壊れた電気製品・機械・部品類」「安物あるいはリサイクルの衣類」などです。

2.KöthenerBachhausMitBachdenkmal.JPG
By Georgheeg, CC BY-SA 3.0 de, Link

この町が日本人に知られているとすれば、やはりバッハが宮廷楽師長としてアンハルト=ケーテン侯レオポルトに仕えたことや、その時代にブランデンブルグ協奏曲や無伴奏チェロソナタなど、数々の名曲を作曲した町ということからでしょう。ケーテンでは、領主のレオポルトが教会音楽に重きを置かないカルバン派を信仰していたため、宗教音楽ではなく世俗曲を中心に作曲したとされています。詳しくは Wikipediaやバッハ研究のサイトをご参考に。うっかり写真を撮り忘れたので、Bachplatzにある像の画像を Wikiから借用しておきます。

上の写真は Springerstraßeから St.Jacob教会を見たところですが、Wikipediaにもほぼ同じ場所の写真があります(下)。Wikipediaによると「近世(に建造された)多くの建物が旧市街に保存されています(In der Altstadt sind viele Bauten aus der frühen Neuzeit erhalten)」とあります。近世 Frühe Neuzeitとは、これも Wikipediaによると「西洋史上では、東ローマ帝国の滅亡及び、ルネサンス・宗教改革・大航海時代あたり(15世紀 – 16世紀前半)から、市民革命・産業革命の時代の前あたり(18世紀後半 – 19世紀初頭)までを指す。主権国家体制や絶対王政の確立などによって定義される。ドイツ(語圏)では、アメリカ独立革命やフランス革命のあたりまで、自国史では神聖ローマ帝国の崩壊(1806年)あたりまでを「初期近代 Frühe Neuzeit」と呼ぶことで、近代(Neuzeit)と分けている。」という解説があります。

Altstadt Köthen.JPG
Von Michael SanderEigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link

★★★ケーテン Köthen -その3- に続きます。

関連記事

ページ上部へ戻る