- 2020-3-14
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★★★ケーテン Köthen -その2- からの続きですす。
お城を覗いてみます。ちょうど工事中で、足場が組まれネットがかかっており、いい写真が撮れなかったので Wikipediaから借用します。お城の中は博物館になっていますが、個人的にちょっと興味深いものもあります。
Von User:Oursana – Eigenes Werk, Gemeinfrei, Link
第二次大戦時の爆撃によって、城は完全な姿では残っておらず、また残った部分も永らくの社会主義体制下で維持管理も万全ではなかったと見え、そこを現在修復中ということだろうと思います。メインの博物館にはバッハの時代に使われたのであろう鍵盤楽器や弦楽器、楽譜などが展示されています。
もうひとつ興味をそそるのは、ここにはドイツ語研究に関する展示 Erlebniswelt Deutsche Spracheがあることです。ドイツ語の歴史や、各地の方言の違い、ルターのドイツ語などの展示があります。このルーツは 1617年に発足した「実りを結ぶ会 Fruchtbringende Gesellschaft 」というドイツ語の国語教会にありますが、ドイツ各地でバラバラだった方言から標準的なドイツ語を創出する目的で結成されたもので、ドイツの国語協会としては初めてのものでした。この初代会頭にアンハルト=ケーテン侯ルートヴィヒ1世が選ばれたことで、ここにその流れを汲む Neue Fruchtbringende Gesellschaftが 2007年に設立され、Erlebniswelt Deutsche Spracheの運営に当たっているようです。
「実りを結ぶ会 Fruchtbringende Gesellschaft 」は、ドイツ語を軸として宗教異なる各地の領邦国家の君主から学者まで幅広い階級の参加者を集めたたことで、設立翌年の 1618年から始まった三十年戦争で敵味方に分かれた領邦君主のあいだでも円滑な連絡が確保され、戦中戦後の交渉に大きく寄与することになった。さらに、これらの国語協会の活動は「ドイツ」に対する愛国心を育んだ(上記のWiki)」ということで、ドイツの精神的統一に果たした役割は大きいものが有ったと思われます。
城から駅に向かう道は割と枯れた感じです。途中に、「戦後ポーランドとなった戦前のドイツはシュレジエンの町 Schlegelからの追放者(Vertreibene)がここ Köthenに到着し、そこからまた Sachsen=Anhaltに第二の故郷を見つけていった」という碑があります。駅からローカル線で、菜の花の咲くのどかな田舎を通って宿泊地の Halleに向かいます。旧東独ではもう当たり前の風景になってしまいましたが、途中の駅は残念な事に殆どが廃墟化しています。
★★★ケーテン Köthen の項を終ります。
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Stadte に戻ります。