誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(40):★★デトモルト Detmold -3-

★★デトモルト Detmold -2- からの続きです

駅からホテルまで歩き、チェックインして荷物を置いて早速街歩きを始めます。取り敢えずラートハウスを目指して歩きます。というのも、私が自分なりに「その町を訪問したかどうか」は「ラートハウス、マルクト広場を見たか(撮ったか)」を一つの重要な基準としているからです。大抵は町の中心に有る堂々とした建物なので見逃すことはまず無いのですが、稀にミュールハウゼンのラートハウスのように目立たない建物で見逃してしまうこともあります。

↓↓ 旧市街の地図ですが、今回はあまり細かく歩いた経路をチェックしていません。




↑↑ ↓↓ 旧市街、いい感じの家並みが続きます。戦災を被っておらず、かつ西独なので築後何百年というような家屋の補修なども行き届いているのでしょう。街並みに「破綻」がありません。逆に言えば・・・旧東独の町の様に、統一後三十年以上経っているというのに、街並みの中に廃墟化した・しそうな家屋が取り残されているということもなく、また外観は綺麗に修復されているのに、それと引き換えに活気を失ってしまったのではないか、美しさを得る代償として魂をメフィストに売り渡してしまったのではないのか?・・・そういう「哀れを誘う」情景が無いのです。

↓↓ ラートハウスです

「旧市庁舎は 16世紀末から 1827年まで存在し、現在のマルクト広場を南北に教会広場と旧市場広場に分けていた。この建物と隣接する 3つの民家は、新市庁舎建設のために 1827年に取り壊された。そして、1828年から 1830年にかけて、リンテルンRinteln)出身の建築家キューネルトの設計により、新市庁舎が建設されたのである。建設は、監督であるフェルディナンド・ヴィスと石工のラケルマンによって行われた。1829年 12月 2日に上棟式が行われ、1831年 1月には町役場の入居が決まった。その後 2年間で、隣接する教会の敷地は整地され、舗装された。当初の建物は、市場とランゲ通りに対して直角に配置された 2つの棟からなり、内側の棟には小さな厩舎があった。1902年、役場の建物は北西に増築され、現在の四角い形となった。役所の内部は 1993/94年に改装されたのが最後である。」と独語Wikipediaにあります。

★★デトモルト Detmold -4- に続きます

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