誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(40):★★デトモルト Detmold -2-

★★デトモルト Detmold -1- からの続きです

デトモルトは「リッペ(Lippe)」という名のドイツの領邦国家のひとつの都だった訳ですが、その歴史やそこに至るまでの経緯は、どなたかが深い関心をお持ちと見えて、日本語 Wikipediaに詳しく(独語版から翻訳されて)記述されています。独語版の「Fürstentum Lippe」やそれを含むこの地の歴史についても独語では詳細な記述があります。

リッペはドイツの独立した州(Staat:英語で言う Stateにほぼ相当)であった。1468年からはデトモルトに州都が置かれた。

リッペ領主の支配が初めて記録されたのは 12世紀のことである。1528年、リッペの領地は帝国伯爵領(Reichsgrafschaft)に、1789年には公国(Fürstentum)に昇格した。1806年まで神聖ローマ帝国のニーダーライン・ヴェストファーレン帝国領(Niederrheinisch-Westfälischen Reichskreis)、1806年から 1813年までライン同盟、1816年から 1866年までドイツ連邦、1866年から北ドイツ連邦、1871年からドイツ帝国、1919年からワイマール共和国の民主的自由国家(demokratisch verfasster Freistaat)として位置づけられるようになった。1947/1948年、占領国イギリスの政策により、リッペ州は数世紀にわたる独立を諦めなければならず、1946年に設立されたノルトライン・ヴェストファーレン州への編入を決定した。

旧リッペ州の最後の領土状態での面積は、(飛び地は除き)現在のデトモルト行政区のリッペ区にほぼ対応し、デトモルトはその行政所在地である。リッペ郡(Der Kreis Lippe (或いは das Lipperland))は、ヴェストファーレン州、ラインラント州と並んで、ノルトライン・ヴェストファーレン州の第 3の、そして最も小さな郡を形成している。

リッペは、リッペ家の傍系がもともと所有していた他の領地、特にシャウムブルク・リッペ(Schaumburg-Lippe)と区別するために、リッペ・デトモルト(Lippe-Detmold)とも呼ばれた。

Von Dieses Werk wurde von seinem Urheber Störfix als gemeinfrei veröffentlicht.ソースはこちら

↓↓下の動画は「歴史地図アプリ:Cenntenia」の画面キャプチャーです。三十年戦争が終わったあたりから、ドイツ帝国が成立した頃までを早送りしています。画面中央あたりに、リッペの領土が水色で表示されていますが、周辺諸国が戦争で他国に占領されたり、家系断絶のため分家や本家と統合されたりして、色が目まぐるしく変わるなかにあって、一時の例外を除いては安定して存在しているのが見て取れます。ドイツ帝国になって紫色に覆われた後も、上述のように「実態は連邦国家だったドイツ帝国を構成する州 Staatとして」独立を保っていたのです。

ちなみにこのアプリの公式サイトはこちらです。私のブログの「ドイツ:領土の変遷『ドイツっていったいどこのこと?』」という記事も、このアプリの地図を活用しています。ドイツだけでなく、かなり広範な地域がカバーされているので、歴史に関心のある方には超お勧めです。

↓↓独立した州の証として、こんな勇ましい州歌(国歌)が残っています

★★デトモルト Detmold -3- に続きます

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