- 2023-5-1
- ブログ
ロェーバウ Löbauのことを調べていくと「Oberlausitzer Sechsstädtebund(オーバーラウジッツ六都市同盟)」という言葉が出てきます。既にご紹介したゲルリッツやツィッタウ、更にこの後行くバウツェンなどのオ-バーラウジッツと呼ばれる「地域」の六つの都市がなんらかの目的で同盟を結んでいたようですね。しかし、これが私のアタマに小さな混乱を引き起こすことになります。
「Oberlausitz オーバーラウジッツ」を検索すると、概ね上左の地図の範囲のことを指している解説が示されます。この範囲の中に Oberlausitzer Sechsstädtebund(オーバーラウジッツ六都市同盟)の6つの都市も収まっています。一方で私の蔵書で「Unvergessene Heimat シリーズの Schlesien」の中に示されている Schlesienの地図の中には「ゲルリッツ Görlitz」が入っています。少し見辛いので、上右の地図をクリックして拡大して確認してみてください。六都市同盟の中でも Görlitzと Laubenは Schliesienの中にあり、Zittauは Oberlausitzにあるのが確認できるかと思います。地図には表記がありませんが、今回採り上げている Löbauも Oberlausitz側に残っています。でも、どういうこと?Görlitzと Laubenは Oberlausitzなの?Schlesienなの?
私も、Wikipediaの様々項目を読んでの俄か勉強なのでちゃんと腑に落ちているわけではないのですが・・・整理する意味で、今話題の ChatGPTにドイツ語で質問してみました(DeepL翻訳)
質問:Oberlausitzと Schlesienの違いは何ですか? Stadt Görlitzは、Oberlausitzと Schlesienのどちらに属しますか?
ChatGPT回答:Oberlausitzと Schlesien中央ヨーロッパの歴史的な地域であり、地理的、文化的につながっているが、なおかつ相違点もあります。
Oberlausitz地方は、主にドイツの東部に位置し、ドイツのザクセン州とブランデンブルク州の一部を占める地域です。丘、川、森が特徴的なこの地域は、ボヘミア王国の一部として、また後にザクセン州の一部として長い歴史を持っています。多くの住民がソルビア人の血を引いており、ソルブ語や文化が今も培われていることから、Oberlausitzの文化はソルビア文化と密接に関係している。
一方、は、Schlesienポーランドの南部を中心に、チェコやドイツの一部も含む歴史的な地域です。Schlesienはポーランド、ボヘミア、オーストリア、プロイセンの一部であり、第二次世界大戦後、ポーランドとチェコスロバキアに大きく分けられました。この地域は鉱業と工業の歴史で知られ、豊かな文化遺産を有しています。
Görlitz市は、ドイツの極東、ポーランドとの国境に近い Oberlausitz地方に位置しています。しかし、歴史的にはゲルリッツはシレジアと密接な関係にあり、シレジア公国に属していた時期もあります。そのため、ゲルリッツにはシレジア文化の伝統があり、建築、料理、言語などに反映されています。しかし、現在では、ゲルリッツは Oberlausitzに属していると考えられています。
このあたりの歴史は非常に複雑で、大国だったオーストリア・小国からのし上がってきたプロイセン・ポーランドなどの間で領有権を争ってきた Schlesienに接する地域で、キーワードとしては Wikipediaの「ボヘミヤ王冠領(Böhmische Kronländer)」とか「シュレージエン戦争(Schlesische Kriege)」とか「Oberlausitz」などを参照頂ければと思います。これを深掘りするだけで、かなりの物語が書けそうです・・・あ、情報をバラシて再構築する根気と、文才があればね(笑)
話を今回の疑問「Görlitzと Laubenは Oberlausitzなの?Schliesienなの?」に絞れば、上の地図の「薄緑の中で、少しだけ濃い三角形の部分=Oberlausitzの北半分」が、ナポレオン戦争の戦後処理としてのウィーン会議で、ザクセン王国からプロイセン王国に割譲され、プロイセンはこれを Provinz Schlesienという行政単位としての「州」に組み込んだから・・・ということになります。
また、そもそも「ボヘミア王冠領」というのはボヘミア王国を中心にモラビア・シレジア(シュレジエン)・ラウジッツなどの周辺地域を領土としていた連合体ですが、ボヘミア視点からは周辺諸地域を上から目線で支配するという意図があったのに対して、ラウジッツでは有力な6つの都市が(そのなかでも最有力なバウツェンを軸に)同盟を組んでそれに対抗しようとした・・・これが六都市同盟の意義だったようです。
(カール4世時代のボヘミア王冠領→→)
・・・以上、Löbauの訪問記から大きく脱線して、私の Oberlausitzと Schliesienに関する疑問・興味におつきあい頂き有難うございました。次回から Löbauの訪問記に戻ります。