誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(57):★★★ヴォルフェン Wolfen -3-

★★★ヴォルフェン Wolfen -2- からの続きです

駅から「ある目標」に向かって歩き始めます。下の地図はクリックすると(少しだけ)拡大しますが、赤いマークのところまで約 15分ちょっとです。そこの左側(西側)に広がっているのは、かつての AGFA(ORWO)の工場と関連の化学プラントです。

Deutsches Haus この町の唯一のホテル(兼レストラン・居酒屋:所謂 Gaststätte)のようです。この写真は 2022年 5月ですが、その後部屋代は上がっているようですね。でも、廃業していないようでよかったです!

このあたりは安普請の高層住宅が無く、そこそこ大きめの一軒家が主体の住宅街のようです。想像ですが、工場に近いこともあって、そこの幹部たちが住んでいたのではないでしょうか?

↓↓ Oppenheimer Strasseにこんなものを見つけました

お!不思議な形をした機関車が!よく見ると通常の蒸気機関車にはある煙突が無く、石炭と水を積載するテンダーやタンクも有りません。ディーゼルでもなさそうです。え?・・・ひょっとして無火蒸気機関車?鉄オタの私も現物は見たことはなかったのですが「化学工場等、粉塵爆発の危険性、空気の供給が限られる鉱山の坑道等、火気の使用が制限されている場所で運用するための機関車」と Wikipediaにあります。(独語 Wikipediaはこちら)確かに、これが AGFAの化学工場に出入りしていたと考えると納得がいきます。

解説板には「Filmbahn」とあるので「Filmbahn Wolfen」で Google検索したところ、たった2件しかヒットせず、かつ意味のある情報はこの一件だけでした。そこで思いついて ChatGPTに質問を投げてみたところ、驚きの結果が出たのです!これは、ここまで検索を独占してきた Googleも焦るでしょうね~!

質問:Wolfen駅と AGFAの工場を結んでいた Filmbahnについて教えてください

✙✙ 長くなるので折りたたんでいます。是非こちらをクリックして展開してお読みください

質問:Wolfen駅と AGFAの工場を結んでいた Filmbahnについて教えてください
回答:Wolfen駅とAGFAの工場を結んでいたFilmbahnは、かつてドイツのWolfenにあるAGFAの工場を、Wolfen駅と結んでいた鉄道路線のことです。この路線は、AGFAの製品を運び出すために建設されました。AGFAのWolfen工場は、かつては写真フィルムと映画フィルムの生産拠点として知られていました。

Filmbahnは、1926年に建設され、第二次世界大戦中には戦争生産に使われました。戦後、東ドイツの成立に伴い、Filmbahnは改修され、再びAGFAの映画フィルムを運び出すために使われるようになりました。しかし、1990年代初頭にAGFAは生産を終了し、Filmbahnは廃止されました。

現在、Filmbahnの一部は、自転車道として利用されています。また、WolfenのAGFA工場跡地には、現在は化学会社のBASFが工場を運営しています。

質問:Filmbahnに使われた機関車について教えてください
回答:Filmbahnには、AGFA工場とWolfen駅を結ぶために、様々な種類の蒸気機関車やディーゼル機関車が使用されました。

最初期の時期には、1926年に製造された蒸気機関車”Krauss-Maffei”が使用されていました。その後、AGFA工場の需要に合わせて、より大型の機関車が登場しました。第二次世界大戦中には、戦争生産のために工場内で使用されるために、小型の蒸気機関車が使われていました。

戦後、Filmbahnの再建にあたり、ディーゼル機関車が導入されました。1950年代には、LEW(Lokomotivbau Elektrotechnische Werke)によって製造されたディーゼル機関車のV10Cが使用されました。その後、1970年代にはより大型のディーゼル機関車が導入されました。

Filmbahnで使用された機関車は、現在では保存され、博物館や私有コレクションで展示されることがあります。

質問:Filmbahnの「火を使わない蒸気機関車」について教えてください
回答:「火を使わない蒸気機関車」という表現は、実際には蓄熱式蒸気機関車(英: Steam accumulator locomotive)を指しています。蓄熱式蒸気機関車は、蒸気機関車のように燃料を燃やして蒸気を発生させるのではなく、蓄熱式の装置に蒸気を貯め込んで、それを利用して機関車を動かすものです。

Filmbahnで使用された蓄熱式蒸気機関車は、Vereinigte Wagon- und Maschinenfabriken AG(VWM)によって製造されたもので、1956年に導入されました。この機関車は、AGFA工場内で使用されていたのち、1972年にFilmbahnに転用されました。蒸気発生装置を持たず、動力は蓄熱した蒸気をエンジンに送って作動させる方式でした。(大野註:1956年は東独が成立しており「AG」という会社形態は無かったはず。銘版にも VEB Lokomotivbau Karl Marx Babelsbergとあるので精査が必要

蓄熱式蒸気機関車は、燃料の使用が少なく、騒音や排気ガスが発生しないというメリットがありました。しかし、一方で蒸気を貯めるために重く大きな蓄熱タンクが必要であり、また蒸気を貯める時間が必要なため、蒸気機関車よりも制動力や加速性能に劣るというデメリットもありました。現在では、蓄熱式蒸気機関車はほとんど使用されなくなっています。

↑↑ いかがでしょう?一部に精査は必要と思われますが、総じて見事な答えではないでしょうか?焦れ、検索独占の Google(笑)

↑↑ 旧東独での定番の道路名ですね。Puschkinは人気ですね~(笑)

Kulturhaus Wolfen

冒頭部分を DeepL翻訳しておきますが、ルーツは AGFAの従業員向け娯楽施設のようですね!

アグファ社は、グレッピン(近隣の自治体)との境にヴォルフェン塗料工場を、町の中心部の西にヴォルフェン・フィルム工場を設立し、この町最大の雇用主となった。1911年、ヴォルフェンにクラブハウスが建設され、射撃クラブ、体操クラブ、歌謡クラブなど、アグフ ァの工場が資金援助するクラブが運営されるようになった。その1年後、アグファ・ヴェルケの社会部部長フリッツ・クルシュマンが「Unterstützungsverein」を設立し、ここにもクラブハウスが置かれた。アグファ社は急速に成長し、労働者のレクリエーションを目的とした夜の娯楽は人気を博したため、スペースに問題が生じ、新しいパフォーマンスの可能性が模索されるようになった。1913年と 1914年に建設された 173号館は、新しい第二映画館の女性従業員のために建てられたもので、女子食堂があり、第一次世界大戦中もすでにそのような選択肢を提供していたのである。これは、上演のプロ化と相まって、1917年以降、アマチュアに加えてデッサウ劇場の俳優が使用されるようになった。

しかし、1922年 1月にライプツィヒのオペレッタ劇場のアーティストを起用し、エンターテイメントの夕べを再開したのはカースマンであった。さらに、デッサウ劇場と契約を結び、そこでも定期的な催しが行われるようになった。特にデッサウ劇場は 1922年に全焼し、代替の劇場が必要となったためである。1925年 12月にアグファの 2工場が I.G.ファルベンに譲渡されると、Filmaufarbeitung III(建物番号062)を放棄し、代わりに劇場に改築することが決定された。カーシュマンに加え、演出家であるアーレンバッハの妻は、自ら戯曲を書き、上演しており、大きな支援者であった。(以下略)

↓↓ さて、これが今回のターゲットです!

★★★ヴォルフェン Wolfen -4- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る