- 2023-2-22
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駅から「ある目標」に向かって歩き始めます。下の地図はクリックすると(少しだけ)拡大しますが、赤いマークのところまで約 15分ちょっとです。そこの左側(西側)に広がっているのは、かつての AGFA(ORWO)の工場と関連の化学プラントです。
Deutsches Haus この町の唯一のホテル(兼レストラン・居酒屋:所謂 Gaststätte)のようです。この写真は 2022年 5月ですが、その後部屋代は上がっているようですね。でも、廃業していないようでよかったです!
このあたりは安普請の高層住宅が無く、そこそこ大きめの一軒家が主体の住宅街のようです。想像ですが、工場に近いこともあって、そこの幹部たちが住んでいたのではないでしょうか?
↓↓ Oppenheimer Strasseにこんなものを見つけました
お!不思議な形をした機関車が!よく見ると通常の蒸気機関車にはある煙突が無く、石炭と水を積載するテンダーやタンクも有りません。ディーゼルでもなさそうです。え?・・・ひょっとして無火蒸気機関車?鉄オタの私も現物は見たことはなかったのですが「化学工場等、粉塵爆発の危険性、空気の供給が限られる鉱山の坑道等、火気の使用が制限されている場所で運用するための機関車」と Wikipediaにあります。(独語 Wikipediaはこちら)確かに、これが AGFAの化学工場に出入りしていたと考えると納得がいきます。
解説板には「Filmbahn」とあるので「Filmbahn Wolfen」で Google検索したところ、たった2件しかヒットせず、かつ意味のある情報はこの一件だけでした。そこで思いついて ChatGPTに質問を投げてみたところ、驚きの結果が出たのです!これは、ここまで検索を独占してきた Googleも焦るでしょうね~!
質問:Wolfen駅と AGFAの工場を結んでいた Filmbahnについて教えてください
↑↑ いかがでしょう?一部に精査は必要と思われますが、総じて見事な答えではないでしょうか?焦れ、検索独占の Google(笑)
↑↑ 旧東独での定番の道路名ですね。Puschkinは人気ですね~(笑)
冒頭部分を DeepL翻訳しておきますが、ルーツは AGFAの従業員向け娯楽施設のようですね!
アグファ社は、グレッピン(近隣の自治体)との境にヴォルフェン塗料工場を、町の中心部の西にヴォルフェン・フィルム工場を設立し、この町最大の雇用主となった。1911年、ヴォルフェンにクラブハウスが建設され、射撃クラブ、体操クラブ、歌謡クラブなど、アグフ ァの工場が資金援助するクラブが運営されるようになった。その1年後、アグファ・ヴェルケの社会部部長フリッツ・クルシュマンが「Unterstützungsverein」を設立し、ここにもクラブハウスが置かれた。アグファ社は急速に成長し、労働者のレクリエーションを目的とした夜の娯楽は人気を博したため、スペースに問題が生じ、新しいパフォーマンスの可能性が模索されるようになった。1913年と 1914年に建設された 173号館は、新しい第二映画館の女性従業員のために建てられたもので、女子食堂があり、第一次世界大戦中もすでにそのような選択肢を提供していたのである。これは、上演のプロ化と相まって、1917年以降、アマチュアに加えてデッサウ劇場の俳優が使用されるようになった。
しかし、1922年 1月にライプツィヒのオペレッタ劇場のアーティストを起用し、エンターテイメントの夕べを再開したのはカースマンであった。さらに、デッサウ劇場と契約を結び、そこでも定期的な催しが行われるようになった。特にデッサウ劇場は 1922年に全焼し、代替の劇場が必要となったためである。1925年 12月にアグファの 2工場が I.G.ファルベンに譲渡されると、Filmaufarbeitung III(建物番号062)を放棄し、代わりに劇場に改築することが決定された。カーシュマンに加え、演出家であるアーレンバッハの妻は、自ら戯曲を書き、上演しており、大きな支援者であった。(以下略)
↓↓ さて、これが今回のターゲットです!