- 2023-2-22
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駅前の広場に出ると小さな機関車と貨車が展示されています。そしてその傍に、写真産業に関わった人には懐かしいロゴを掲示した広告塔があります。出たっ!あれだ!(笑)
Rangierlokとあるのは所謂「入換機関車」というタイプの小型の機関車で、操車場で貨車・客車などを行き先別に並べ替えて貨物列車・旅客列車を編成したり組み替えたりする目的で設計された機関車です。高速走行は求められず、そこそこの馬力と小回り性能、前進と後退を繰り返すのでその容易さなどが求められるタイプです。ここに展示されているのはディーゼル機関車ですね。
出たっ!(笑)そ~なんです、ここはあのドイツの銀塩写真産業 AGFAの発祥の地なのです。
写真が好きで 1977年に小西六写真工業(現コニカミノルタ)に就職した私にとっては、何とも胸キュンなロゴです。ドイツが東西に分割され、その商標権を巡っての係争の後、後継ブランドとして ORWOが事業を引き継ぎました。ちなみに AGFAとは Aktien gesellschaft für Anillinfabrikation(アニリン製造株式会社)、ORWOは Original Wolfenの略です。
このあたりは後半でまた深掘りしますが、ここで独語 Wikipediaから Wolfenの歴史を引用して DeepL訳しておきます。
歴史
ヴォルフェンは、1400年にアルトイェスニッツ荘園(Rittergut Altjeßnitz)の封建文書に Wulffenとして初めて言及された。この地名は、Wolfで始まる名前を持つ創設者に由来する。考古学的な発見は、1140/50年頃、この村が入植された最初の集落であったことを裏付けている。中世後期の荒廃期の過程で、15世紀前半にヴォルフェンはさびれ、1550/51年に 21の農家を持つ村として再興された。当初は直轄村としてザクセン選帝侯ビッターフェルトに属していた。ウィーン会議の決定により、ヴォルフェンはプロイセンに渡り、1816年にザクセン州メルゼブルク行政区のビッターフェルト地区に割り当てられ、1944年まで同村に属した。
1846年、この地域で褐炭が発見され、ヨハネス坑で採掘された。1938年から 1991年にかけて、残存する露天掘り坑道には、ウォルフェンフィルム工場のセルロース生産とその他の化学プロセスから出る廃水が流れ込んできた。そのため、この水域は俗に「銀の湖」と呼ばれている。
現在のヴォルフェンは、1909年にアグファ社が建設したヴォルフェンのフィルム工場によって発展した化学の街である。ヴォルフェン・ノルトは、ヴォルフェン・フィルム工場で働く従業員のために建てられた新しい集合住宅街である。カラーフィルムは 1936年にヴォルフェンで発明され、その特許は 1945年にアメリカ軍に没収され、アメリカのコダック社に引き渡された。
第二次世界大戦中、ドイツに占領された国々から何百人もの女性、子供、男性が IG-Farbenの工場で強制労働を強いられていた。また、無軟骨形成症にも関わった放射線学者ゲオルグ・ローデナッカーの指揮のもと、ヴォルフェンで病院も運営されていた。戦争末期には、ラーベンスブリュック強制収容所の 350人の女性捕虜が合成繊維(Vistra)の生産に使われ(他の資料によれば、1200人から 1700人のユダヤ人女性)、タールハイマー・シュトラーセのバラックに収容された。多くの人が命を落とした。
終戦後、フィルムと繊維の生産は当初継続され、1953年 12月 31日に VEB Film- und Chemiefaserwerk Agfa Wolfenとしてドイツ民主共和国に引き渡された。1964年、商標が Agfaから ORWO (Original Wolfen)に変更されました。壁の崩壊後、フィルム工場の民営化は失敗に終わった。そして、1994年に工場全体の清算が開始された。部分的な民営化により、ORWO Net GmbH(写真色彩研究所)と FilmoTec GmbH(ORWOフィルムの製造)が設立された。
1958年10月7日、旧ヴォルフェン市は市制を施行。