- 2021-5-1
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ハルバーシュタット Halberstadt -3- からの続きです
主要な教会が集まっている旧市街を歩きます。頑張って復元したとはいえ、教会などの間に建っている住宅は旧東独時代の低層住宅で残念感を否めませんが、そこは想像力で補うことにします(笑)再建されたラートハウスの前には、1433年に砂岩で製作されたローランドの石像が立っています。
ローランド(像)ついてはノルトハウゼンの項で書きましたのでご参照ください。
「中世には、市民の自由の証として多くの町にローランドが建立されました(「ローランドシュタット」)。ローランドの姿は、市場権や独自の管轄権を持つ町の独立性、つまり自由の象徴とされました。」「後にローランドは、教会の支配に対するカウンターシンボルとしても機能しました。ローランドは主にザクセン法(Sachsenspiegel)が適用される場所に立っていました。」・・・などの記述があります。
ハルバーシュタットのローランド像は、1381年にはすでにその存在が証明されていますが、それは木でできていました。石像になるまでは、木製の複製がいくつか作られましたが、失われてしまいました。砂岩による石像は 1433年に建てられ、この完成の日付が図のベルトに刻まれています。このローランド像は、ブレーメンやクヴェートリンブルクのものと並んで、最も古いものの一つです。(独語 Wikipedia)
St. Martini (Halberstadt)
1989年の秋、聖マルティーニは「新フォーラム」の集会所としても使用された。 現在、教会の信徒は非暴力のハルバーシュタットを目指している。マルティーニ教会での平和への祈りから始まった 1989年のハルバーシュタットの平和革命を記念して、教会の西側にシンプルなモニュメントが建てられた。(独語Wikipedia)
ちなみに何故左右の塔の高さが違うのかについては3つの説があるようです。いずれも、尤もらしくもあり嘘っぽくもあり(笑):
- 塔の高さを変えたのは、高い塔の番人が四方を見渡せるようにするためだ。Sargstedtのようなここの町はずれには、いわゆる警報用の防火塔があるので、監視員は全方向を見渡す必要があった。ある方向から煙が出ているのを見たら、町の人に知らせることができる。ハルバーシュタットから 20kmも離れたところに警報用の火の見櫓があったので、この教会のような高い見張り所が必要だったのもうなずる。
- St.Martiniは、教会が建てたのではなく、裕福な市民のお金で建てられた。しかし、建設途中で寄付者が資金不足に陥り、コスト削減のために2番目の塔の高さをこれ以上増やさないことになった。
- 中世には、セント・マーティンが燃えて、塔のひとつが破壊されたと言われている。しかし、町に十分な財政的余裕がなかったため、破壊された塔は暫定的に再建されただけだった。
↓↓ Domplatzから西の Liebfrauenkircheの方向を見たところ
↓↓ 太く短い方が Halberstädter Würstchenです。製造者に関する解説と公式サイト
↓↓ クリックするとスライドショーになります。
↓↓ iebfrauenkirche L
↓↓ 主要な教会の紹介に力点を置いた動画がです
ハルバーシュタット Halberstadt -5- に続きます