誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(79)★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -14-

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -13- からの続きです

さて「4つの城門」「飲食」「痕跡探し(Spurensuche)」「二つの教会」という切り口でノイブランデンブルクをご紹介してきました。今回はそれらのカテゴリーに入らなかった気になる写真を順不同に並べて補完していくことにします。画像はクリックすると拡大します。

Neubrandenburg駅:今回私がここを拠点に周辺の町を探訪したことからもお分かりのように、この駅を起点にいくつかの路線が伸びている交通の要衝です。駅や周辺の路線の近代化工事などが続いており、またその日程が遅れるなどしているので、お出かけの際には事前に DBアプリなどで下調べをするなどの注意が必要です。まあ、DB全体がそんな感じなんですけどね(笑)

Fritz-Reuter-Denkmal フリッツ・ロイター記念碑駅からもほど近い城壁の上に、低地ドイツ語で有名な作家であり詩人でもあるフリッツ・ルーターの記念碑があります。フリッツ・ロイターは 1810年 11月7日、市長のゲオルク・ヨハン・ヤコブ・フリードリヒ・ロイターの息子として、近くのシュターベンハーゲンに生まれました。1856年、ロイターはフリーの作家としてノイブランデンブルクに定住しました。ここで彼はさまざまなアパートを借りていました。

彼が住んだアパートのひとつ、スターガルダー通り 35番地には、現在、彼を称える記念プレートが掲げられています。彼の偉大な作品のほとんどすべては、ノイブランデンブルクに 7年間住んでいた間に書かれました。「Kein Hüsung」、「Ut de Franzosentid」、「Hanne Nüte」、「Ut mine Stromtid」などです。これらの作品やその他の作品により、彼は作家および詩人として国内で名声と評価を得ました。彼の低地ドイツ語の著作はほぼすべてのヨーロッパ言語に翻訳され、第二次世界大戦後は日本語にも翻訳されました。

現代の言葉で言えば、彼はベストセラー作家であり、彼の著書は大量に印刷されました。フリッツ・ロイターは、他のどの都市とも異なるノイブランデンブルクとのつながりを感じていました。1863年にアイゼナハに移り住む際には、「この7年間は、正直に言って、私の人生で最も幸せな日々でした。私は、清潔な街路、美しい教会、緑の樫の葉を思わせる湖の水鏡、ブナの森など、フレンドリーな街ノイブランデンブルクを決して忘れないでしょう。」と別れを惜しみました。そして、ノイブランデンブルクの人々も「フリッツィング」を忘れたくなかったようです。1887年には早くも、ノイブランデンブルクの新聞に、ルートヴィヒ・フォン・ルーターの記念碑を建てるための寄付を呼びかける記事が掲載されました。市民からの寄付金は 3万2000マルクに達し、ベルリンの彫刻家マルティン・ヴォルフがコンペで選ばれました。1893年、フリッツ・ルーターがこの地を離れてから 30年後、記念碑が公開されました。この特別なイベントを祝うために、街全体が盛り上がりました。こうして、常に人々の間で過ごすことを好んだ「我らがフリッツィング」は、花崗岩の台座の上に立つブロンズ像として、今もなお100年以上前の姿のまま、周囲の生活や喧騒を見下ろしています。

夜の城壁に沿って・・・

Mudder Schulten:現代の Hochdeutschに訳せば「Mutter Schulze」となりますが、彼女はフリッツ・ロイターの後期の作品の中に登場する「愛すべきパン屋のオバちゃんキャラ」といったところです。戦災に遭う前はマルクト広場にあったこの噴水は、今は町の入り口に移されていますが、パン屋のオバちゃんが領主に未払いのパン代を払えと交渉しているところのようです。彼女をモチーフにしたレストランもあります。

駅から延びる Stardarder Strasseがかつての城壁と交わる部分は、道路建設の為に城壁を壊したのですが、そこに鉄の柱を建てて、ここに壁があったことを思い出させるようになっています。

この町の歴史的市庁舎は第二次大戦で町が陥落した後にソ連兵によって破壊されました。新しいラートハウスはそれの再建をあきらめ、城壁の外側に普通のオフィスブルとして建てられています。

駅の近くにある鉄道模型の店・・・行きたかったなあ(笑)

ホテルから見れば町の反対側にあるので今回はあまり行かなかったのですが Tollensesee」(トレンゼゼー」という湖があります。かつてはこの畔に魚雷の実験設備があったようです。

夜景を少しばかり・・・

Stadt der vier Tore – NEUBRANDENBURG – eine Schönheit am Rande der Mecklenburgischen Seenplatte
あまりいい紹介動画は無いようです。まあ、これくらいでしょうか・・・

Neubrandenburg grüßt mit niederdeutschem Namen
低地ドイツ語で小説を書いたフリッツ・ロイターの影響もあるのか、ここの人達は低地ドイツ語に大きな誇りを持っています。これは Mudder Schultenに扮したオバちゃんや地元の人が Neubrandenburgに「Niegenbramborg」という低地ドイツ語のサブネームを与えられた時、それを喜んでいる動画です。

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg の章を終ります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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