誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(75)★★★ ペルレベルク Perleberg -5-

★★★ ペルレベルク Perleberg -4- からの続きです

Wittenberger Strasseを更に旧市街に向かって歩きます。しかしまだ旧市街の入り口にも到達していないのに5項も使っていいのか?ご心配なく!旧市街は手抜きしますから(笑)

VVNのモニュメントがあります

VVN記念碑は 1950年 5月 1日にマリエン広場に建てられた。
VVNの 3文字は「ナチス政権迫害者協会」を意味する。この記念碑の碑文は、「ブッヘンヴァルトの誓い……」「ナチズムの破壊をスローガンに……」と……「平和と自由の新世界の建設を目標に……」を指していると推測できる。赤い角は、国家社会主義のすべての犠牲者のシンボルとして採用された。
ドイツ民主共和国では、VVNの支援を受けて、反ファシストレジスタンスの一部を疎外し、共産主義レジスタンスにますます焦点を当てることで、記念式典は絞り込まれた。
今日では、すべての闘士と犠牲者が等しく私たちの記念式典に含まれている:
ユダヤ人、シンティ、ロマ、エホバの証人、同性愛者、国防軍脱走兵、そしていわゆる非社会的な人々などである。また、強制収容所以外で迫害、拷問、殺害された国家社会主義の犠牲者、病人や障害者、民間人の強制労働者、あらゆる国の捕虜も追悼する。
2015年、VVN記念碑の改修工事の一環として建立された。
ペルレベルク市

VVNとは「Vereinigung der Verfolgten des Naziregimes – Bund der Antifaschistinnen und Antifaschisten:ナチスによる被迫害者協会」の略で、西独が主体となって立ち上げられた団体のようですが、旧東独にはそれが建てた慰霊碑があちこちににあります(例えばロェーバウ Löbau)。VVNについての解説はこちらにあります。ちなみに前項で採り上げた戦没ソ連赤軍兵士の微地・慰霊碑は、当初はここ(マリエン広場)にありましたが、もっと広い土地が必要ということで駅に近い Grahlplatzに移転したということです。

しかし、この町には「戦前のナチスによる圧政の被害者の慰霊碑」があり、第二次大戦で戦った相手の「ソ連赤軍兵士の墓・慰霊碑」が大きな面積を占めて存在しており、それを保守管理・献花することが、後継国家ロシアのプーチンウクライナを侵略した後でもが条約で義務付けられており、5月 8日の「ソ連戦勝記念日」には市長が慰霊の言葉を述べることになっており、「東独歴史博物館」では社会主義独裁の惨状と、その時代へのノスタルジアがないまぜになった展示が行われている・・・そんなモニュメントが駅からの高々数百メートルの間に3つも存在しているのです。歴史に翻弄された旧東独市民の複雑な心境が透けて見える・・・典型的な旧東独の町と言えるかもしれません。

閉店したベーカリー・・・

ふう!漸く旧市街への入り口に辿り着きました(笑)

★★★ ペルレベルク Perleberg -5- に続きます

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